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最終更新日:2017.10.25

教養学部報

第595号 外部公開

<時に沿って>心を通して見る世界

松井千尋

学生の皆さんの多くは、入学試験や大学での授業を通して、発想の転換で見える世界が変わる瞬間を体験されたことと思います。今回は、それに関連する私自身のエピソードを紹介したいと思います。

私が駒場キャンパスに初めて足を踏み入れたのは、十四年前。まだ風が吹くと少し肌寒い、そんな季節でした。そのほんの半年前までは、音楽と学問の道、どちらに進むべきか悩んでいました。音楽は人に感動を与えることができるけれど、将来が安定しないしお金もかかる。その頃世間知らずだった私は、ならば得意な学問の世界で道を極めようと思い、駒場の正門をくぐったのでした。もちろん、後に学問の世界で職を得ることの門戸の狭さを知ることになる、ということを付け加えておきます。

教養の授業はどれも面白く、一限から六限まで毎日ぎっちり時間割表が埋まっていました。極めるならどの学問にするか。いろいろな授業を受けるうちに、万物を理解するには物理を極めるべしという思想に取り憑かれ、物理学科へ進学しました。

しかし、実際の研究現場で待ち受けていたのは、専門分野のさらに専門を選び、それを突き詰めてゆくという作業の繰り返しでした。途方に暮れた私は、理論の根幹を求めて数理物理の道へ足を踏み入れることになります。

無味乾燥した数式の羅列、現実世界との乖離。万物の理解へ近づいているのかよくわからず、ましてや人に感動を与えることとは程遠く、自分のやっていることの価値がわからなくなった時期もありました。

それでも、研究を続けていくうちに様々な学会へ足を運ぶようになりました。そうして、たくさんの研究者と話す中で気付いたのは、言語も文化も違う地球の裏側の人々が、同じようなことに興味を持っているという驚きと感動でした。必要な知識や技術は膨大で、すぐに役に立つかはわからない。けれど、自分なりに理解したことを自分の言葉で伝えることで、学問の世界に入らなければ出会うはずのなかった人と共有できるものがある。

研究は孤独な作業ですが、一人でするものではありません。先人たちが積み上げてきたものがあり、世界のどこかで同じような問題に頭を悩ませている人たちがいて、新しい結果を一緒に喜べる仲間がいます。無機質だと思っていた物理学の印象が、自分の中でぱっと変わった瞬間でした。数学の問題が解けるときの感覚と、少し似ているかもしれません。

難解な論文との睨めあいの合間、過去の偉人もこんな風に悶々としながら偉業を生み出してきたのだろうか、などと考えながらキャンパスを見下ろすことが時々あります。この論文が書き上げられた背後には、一体どのような人々の思いがあったのだろう。そんな風に考えを巡らせていると、無味乾燥した数式の羅列にも温もりが感じられる気がしませんか?

(数理科学研究科)

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