HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報596号(2017年12月 1日)

教養学部報

第596号 外部公開

<本の棚>遠藤泰生 編 「近代アメリカの公共圏と市民 デモクラシーの政治文化史」

西川杉子

ドイツの社会学者ユルゲン・ハーバーマスは、「啓蒙の世紀」とも呼ばれる一八世紀のヨーロッパに「公共圏」という、民間の、かつ公共性をもった政治空間が出現したとする。この公共圏については、語るのは今更なほど、知れ渡っている。特にイギリスを研究する者にとっては、一八世紀の公共圏の出現は、大変わかりやすいし、実際、イギリス研究において公共圏、公共性に関する研究蓄積は厚い。

そもそもイギリスでは、一七世紀末頃から、新聞も含めた活字文化が爆発的に成長したのと共に、私人としての市民が政治・宗教・学術討議のできるコーヒーハウスやさまざまなクラブ、そして民間団体=自発的結社が急増している。特に自発的結社は、通信協会、工芸振興協会、フリーメイソン、キリスト教知識布教協会など枚挙にいとまがない。これらの交流の場、そしてそれが編み出すネットワークが、政府(公権力)を監視(時には補足)する政治文化を作り出したのである。社会の上層・中層にあたる有産市民がその中心を担ったが、下層の人々も、居酒屋や市でさまざまな論議に参加し、街頭演説/説教、示威行進、祭礼行列に集まって存在を誇示し、「自由に生まれたイギリス人」として「政治」に参加した。このような政治文化を公共圏論に接続させることは容易い。

ちなみにイギリスの自発的結社においては、メンバーが二人でも集まれば(場合によっては参加者が一人の時も)議事録を残している例が多く、研究者にとっては有難いことに、資料が実に多く残されている。

これに対して本書の編者・遠藤泰生氏によると、アメリカ近代史研究やアメリカ地域研究では公共圏の研究が少ないどころか、公共圏に対する関心が希薄なのだそうだ。編者は「序章」において、ハーバーマス以降の公共圏の概念を丁寧に整理しているが、そこで、「公権力を監視し抑制する機能が近代西欧の公共圏に求められたとすれば、(独立後の)近代アメリカの公共圏には、公権力としての正当性を速やかに帯びることが逆に求められた」と述べている。つまり、アメリカでは「中央権力と公共圏とは……不即不離の関係」を持つゆえに、ハーバーマス的公共圏が研究者にアピールしなかったということになる。しかしそれだからこそ、公共圏概念を大きく拡張させて、長い歴史的視座からの近代アメリカ史の再検討を試みる、それが本書の目的なのだろう。

本書は十二人の国内外の研究者による分担執筆で、テーマも多岐に及ぶ。時代も独立以前の植民地時代から独立後の南北戦争に向かう一九世紀前半にわたる。それぞれの章のフォーマットが異なり、専門外の私には、本書を近代アメリカの公共圏の概説として読むことは難しかった。しかし、どの章でも、「公共」に結びつく政治的討議の場を扱うことで、植民地時代とその後の時代における政治的討議と参加者(あるいは参加を試みる者)の関係性の変化が、より明確に浮かび上がったのではないか。

第八章の筆者が論じたように、一七世紀(そして暗に示されているように一八世紀前半においても)の植民地時代の政治活動に公共圏を見出すことは難しい。しかし、一八世紀を扱った各章においては、『ザ・フェデラリスト』や「マサチューセッツ憲法典」と扱う史料は異なるが、いずれも「実現すべき公共圏」をめぐる政治的討議が紹介されていて興味深かった。それに対して、一九世紀を取り上げる各章では、当初、公共圏から排除された者、あるいは想定外だった者の公共圏参入を求める政治運動がとりあげられており、公共圏の限界と再組織化が検討されている。これらは、近代アメリカの政治文化の変容を学ぶ上で、格好のイントロダクションになっていると思う。

個人的には、一八世紀初頭ヴァジニア植民地のスポッツウッド総督を取り上げた第四章が面白かった。この章では、フロンティアであったヴァジニアの空間編成に関するスポッツウッドの構想過程が具体的に紹介されているが、本国政府への彼の「提案」は、彼の本国での「コネクション」の弱さから却下されてしまう。実は、イギリスに残された資料によると、スポッツウッドの提案については、当時の政府内だけではなく、ロンドンの自発的結社でも盛んに検討されている。ここに、よりトランスナショナルな公共圏の拡大(あるいは接続?)の可能性もあるのではないだろうか。

(地域文化研究/英語)

 

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