HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報597号(2018年1月 9日)

教養学部報

第597号 外部公開

駒場をあとに「清流あれば激流あり。駒場の川下り」

長谷川寿一

597-1-1.jpg一九八四年から四年間助手として、一九九一年から二十六年間助教授と教授として、のべ三十年間の長きにわたって駒場の教員を務めた。この間、お世話になり、支えて下さり、励まし続けてくれた先輩・同僚の教員、職員、そして学生諸君には心底から御礼申し上げる。この間の出来事をキーワードとして羅列するだけで、本稿の文字数をオーバーしそうである。それだけ思い出に詰まった充実した日々を過した駒場キャンパスは、私の人生そのものだったと言って過言でない。

思い返せば一九七二年に文科三類入学、入学早々四月末まで続いた学生スト明けの講義で出会った寺田和夫先生の「人類学」が、その先の進路を決定づけた。自分探しに明け暮れていた頃、人は所詮、動物で一介の霊長類に過ぎないという啓示のようなメッセージ。以降、学部、大学院時代は、霊長類の行動生態学をテーマに研究生活を走り続けた。昨今の院生、ポスドク諸君には真に申し訳ないが、研究者になれば給料はともかく人生何とか成るだろうという甘い見通しで、結果、その通りになった。さらに幸運なことに一九七〇〜八〇年代は、行動学・進化学のパラダイムシフトの時期に重なり、知的興奮は醒めることがなかった。

研究者としては、連れ合いと共に新しい学術領域である人間行動進化学を立ち上げ、大小二学会の会長・理事長を務め、21世紀COEプログラム「心とことば〜進化認知科学的展開」と新学術領域研究「共感性の進化・神経基盤」の代表者として文理融合型学際研究を推し進めた。教育者としては、百名を超える優秀な学生諸君の卒論、修論、博論およびポスドク研究を指導し、学内行政では学部長、理事・副学長を務めた。社会的活動としては、東大出版会理事長、東大運動会理事長等も仰せつかり、世間的には順風満帆の三十年だった。理解のある同僚や有能なスタッフにいつも恵まれ、出来過ぎの教員生活であった。

とはいえ、挫折や葛藤、苦悩がなかったかと言えば、嘘になる。様々な理由で没になった研究は数知れず、研究者として新分野を開拓するには守旧派との戦いもあった。詳しくは書かない(書けない)が学部執行部でのアドミニストレーションは、胃が痛くなる出来事の連続だった。濱田前総長のもとで断行(?)された数十年ぶりの「総合的教育改革」でも、学内の合意形成に至るまでには連日激論が交わされた。指導学生との間にも、個別には困難がなかったわけではない。にもかかわらず、なんとか定年にまでたどりつけたのは、温かく見守って下さった教職員、学生諸君のおかげである。

駒場での忘れ難い日は、何といっても二〇一一年の三月十一日である。学部長就任から一ヶ月も経たない大激震のその瞬間、たまたま指導院生の博士論文審査会の最中だったが、窓の外の銀杏並木がありえないほど大きく揺れた。学部長室に駆け戻ると、テレビ画面にはまさに津波に飲み込まれていく自動車のリアル空撮映像。ニュースもそこそこに学内の安否確認、構内の被害状況調査、そして同夜は学部長室に泊まり込みで帰宅難民支援に追われた。春休みだったので被災地に滞在中の駒場生もいたが、幸い彼らの無事が確認されたのは数日後のことだった。深刻な原発事故の中、卒業式や入学式、新学期開始時期をどうするかといった危機対応にも難しい判断が求められた。翌春訪れた三陸沿岸の惨状は筆舌に尽くしがたいものがあったが、そのような中、各種のボランティア活動に身を捧げる東大生には頭が下った。

振り返るに、自分の駒場での教員生活は、コミットメント(損得を度外視した思い入れ)と合理的な利得計算の間を揺れ動いてきたと思う。若いうちは、根が多動傾向なこともあり、冷静な計算の前にやりたいと思うことにのめり込むことが多く、その結果、仕事量を増やして自分で自分の首を絞めることを繰り返したが、少しずつ社会的な計算能力(要領のよさ)も身に付けていった。とは言え、頼まれると強く断りきれない性ゆえ、自分の能力以上の仕事を請け負うはめになり、教授時代は研究時間を削って様々な管理運営業務に追われた。役職をこなす毎に、全体の仕組みが見張らせるようになるとそれなりに面白い。実社会と繋がり世界と人脈が広がったのは得難い経験であった。
しかしつまるところ、基礎系の研究者や教育者にとって、何より大切な姿勢は、世渡り上手になることでも、学会や大学のボスを目指すことでもなく、真理探究への知的好奇心を抱き続け、知の喜びと知的誠実さを若い世代に伝えていくことだろう。その意味で、専門は多様でありながら同じ思いを共有できる教員が集う駒場の地は、居心地が良く個人的には去り難い気持ちが本音だ。が、大学にも澱みのないゆったりした流れが必要である。私の川下りもここまで。

幸い、住いはキャンパスから徒歩圏なので、四季折々の美しい自然を散策させていただこう。もし大きな犬を連れた老人が私だったら、ぜひお声がけ願いたい。今一度、皆様への深い感謝の思いを込めて、ごきげんよう。

(生命環境科学/心理・教育学)
 

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