HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報597号(2018年1月 9日)

教養学部報

第597号 外部公開

駒場をあとに「最高の知の道場」

鈴木啓二

数年前のことである。二〇一四年に施行した特定秘密保護法に関して次のような報道を目にした。この法律の制定過程の二〇一一年、内閣秘密調査室が、海外で学んだ経験を持つ人間について、この経験が「外国への特別な感情を醸成させる契機」となって、「秘密を自発的に漏えいする恐れが存在する」というメモを示していたというのである。虚をつかれたような気がした。自分は学生時代から今まで、ひたすら自分が学ぶ対象である、外国の(私の場合はフランスの)言語と文化に近づこうとしてきた。そのために費やした長い時間の中で、この国の言語や文化、そこに生きる人間が、自分にとって、ある特別な親しさを感じる存在となってきたことは疑う余地がない。そして、件の内調のメモが、感傷を排した国家の論理に従って、これ以上はありえないほど明確に告げていたのは、この近さ、親しさの感情が、国家の視点に立てば、潜在的に自国への裏切りにつながる因子に見えるという事実であった。

もっとも、この私の反応は、ナイーヴすぎたかもしれない。そもそも、国家が、─国家が存在する限り─、他国の言語や文化を深く習得しようとする者を警戒したり、逆にその者に特別な関心や期待を抱いたりするのは、ごく自然なことだからある。国家には、個人のレゾンから超越的に独立した、「国家のレゾン」(レゾンデタ)があるのであり、それは、自らの論理にひたすら従う、自動人形のような作動を、どこまでも止めることがない。

フランスの東洋諸語の教育は、フランス革命による国民国家成立後の、「東洋言語学校」の設立とともに本格的に開始されたが、この学校の目的は、「政治的および通商的有用性」にあると明記されていた。今日外国語教育の現場で徐々に普及しつつあるダイレクトメソッド(ある言語を、日本語を介さず、当該言語によって「直接」教授する方法)のフランスにおける起源は、普仏戦争敗北後、国益的観点から、敵国プロイセンの教授法を模倣したことの中に見出されるという。戦時下の日本には、国益に直結した外国語教育機関が存在し、多くの俊英たちが、自らの卓越した外国語の才能と知識の全てを、事後的に見るなら、ほとんど英雄的とも呼びうる自己犠牲をもって、国家という想像の共同体の利用に供した。

しかし、こうした、レゾンデタが厳命するそれとは根源的に対立する、全く別種の、他の言語、他の文化との関わり方への欲求が、人間のうちに強く存在することもまた事実である。それは、ある個と個を、ひとつの「今」と別の「今」を、一つの瞬間と他の瞬間を、時空の隔たりや様々な境界を廃棄して、強力につなごうとする欲求である。

恐らく、学生以来、駒場での日々を通じて、私が抱き続けてきたのはこの欲求だったのだと思う。

進学先の教養学科フランス分科で経験したのは、驚異的な学知を有するスタッフによる、フランス文化への多角的なイニシエーションであった。それは私に、無限の未知の世界が開かれるような高揚感を与えてくれた。しかし、この教育を通じて、自分が同時に感じとったのは、該博な知と教養の背後で、教員たちを強く突き動かしているように見えたある激しい要請であった。フランス科の授業のかなりの部分は、いわゆる原典講読に割かれていた。それを、現実と遊離した、埃をかぶった教養主義のように言うのはたやすい。が、自分が実際そこで経験したのは、それとは全く別の事柄であった。そこに私が見たのは ─私はそれをとりわけ、阿部良雄先生の、テクスト読解に対する姿勢の中に感じ取った─、鬼気迫るまでの、対象への接近の意志であった。それは、外国の文化を、闇を孕んだその究極の相に至るまで、理解し、そこに近づこうとする徹底した他者理解の要請に他ならなかった。

それらの先生方とは到底比較にはならないが、教員としての私の中心に絶えずあったのも、こうした他者への接近の要請であった。この要請に自分がどこまで応えられたかという点については自信はない。対象は近づいたかと思うと遠ざかり、一瞬、火花が散るようにして、対象との回路が開かれたと感じることはあっても、それが、幻影でなかったという保証はない。そもそも、到達のカタルシスは常に警戒すべきものであろう。

しかし、現在の、安価な了解と感動を量産し続ける躁的文化状況の中にあって、また、知を侮蔑する傲慢な政治家たちを前にして、この非効率的な他者接近の営為が、数少ない、有効な、反時代的抵抗であることも事実である。そして、駒場での仕事を終えたあともなお、自分はこのささやかなシーシュポス的営為を続けていくことになるのだと思う。
最後に、お世話になった専攻、部会の教職員各位、たえずフレッシュな刺激を与えつづけてくれた学生諸君に感謝の意を表したい。駒場は自分にとって最高の知の道場であった。

(地域文化研究/フランス語)

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