HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報598号(2018年2月 1日)

教養学部報

第598号 外部公開

送る言葉「高橋さんを送る」

大石紀一郎

高橋宗五さんと初めて会ったのは、高橋さんがドイツ語教室(現・部会)の助手となり、私が教養学科に進学した一九八〇年のことである。当時は、いま駒場図書館が建っている辺りに第一研究室の建物があり、その二階にドイツ語の書庫があった。休み中に図書整理のアルバイトがあり、高橋さんの指示を受けて、暗く埃じみた書庫で図書を点検・整理するのがその作業であった。大学の研究書庫に出入りするのは初めての経験であったし、高橋さんが埃よけに実験着とおぼしき白衣をまとって研究棟を闊歩していたのには鮮烈な印象を受けた記憶がある。当時から図書の扱いに細心の注意を払っていた高橋さんは、後年、教員として、また外国語委員長として、研究図書の充実や書庫の管理、さらにはかつての同僚が遺した書物の行く末にまで心を砕き、実際的な手腕を振るわれることになる。

数年後、私は高橋さんの年下の同僚として教養学部ドイツ語教室に勤務し、前期課程でドイツ語を教えるようになったが、しばらくの間は挨拶を交わす以上の交流はなかった。駒場の絶え間ない改革論議と組織変革がその余裕を奪っていた側面もあるが、何よりも高橋さんは畏怖すべき先輩であり、うかつな質問をしようものなら怒られるような気がしていたのである。活発な交流が生じたのは、さらに十余年ほど経ってドイツ語の共通文法教科書を作る仕事を通じてである。そこでは何人もの同僚とともに正確な説明や適切な例文をめぐって長時間にわたり議論を重ねるなかで、各々の視点から疑問を呈し、自説を主張し、論拠を検討しあった。そして、言葉の性質を徹底して考え、ドイツ語の動詞表現について独自の考究を重ね、たとえば分離動詞の前綴りの機能と前置詞・副詞との意味論的関連性を指摘する高橋さんの考察には多くのことを教えられた。この共同作業を通じて同僚の言葉に耳を傾け、批判に対して開かれた態度で学ぶ機会を得たことは、いまとなっては得がたい経験であろう。その後も現在に至るまで、カントの『判断力批判』の解釈を問うなど、高橋さんがご専門の演劇学を超えた関心を発揮され、言葉とそれが可能にする知的探求について刺激的な問いを投げかけてくださったことには深い感謝の念を抱いている。おそらく教室においても、高橋さんの問いかけは学生たちにそのような探求の可能性を示唆していたのではないだろうか。

二〇一一年に逝去された北川東子さんには、やはり学生・同僚として学ぶ機会を与えられたが、本来であれば北川さんも今年度に定年を迎えるはずであった。いま追悼の思いを新たにするとともに、高橋さんが定年を迎えられ、ふとした疑問についてすぐに質問できる相手が身近にいなくなることに一抹の寂しさを覚える。高橋さんがこれからもあくことなく探求を続けられ、ときにその謦咳に接する機会があることを念じてやまない。

(超域文化科学/ドイツ語)

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