HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報598号(2018年2月 1日)

教養学部報

第598号 外部公開

駒場をあとに 「赴任当時のことなど」

相澤 隆

近年退職された先生方の中には、誠に見事に区切りをつけられて駒場を去られる例が見られる。わたしはとてもこのような見事な引き際はできないなと内心忸怩たる思いを抱きつつも、精神的にも業績的にもうまく区切りをつけられずに駒場を去ることもまた自分らしいと諦観をもちつつ退職までの日々を過ごす毎日である。

私が駒場に来てからすでに三十年近くが去ろうとしており、当時のことを思い返すと、改めて現在との時の隔たりの大きさが感じられる。この間の在職期間でとりわけ印象に残っているのは、どうしても駒場に赴任したての何年間かの出来事になってしまう。しかしその頃のことをここで述べようとすれば、かなりの注釈や背景説明を施すことが必要となるくらいにさまざまなことが変わっている。校務のうえでも教育においても教員(当時は教官)の負担の大部分は前期課程とかかわっており、これを担当する教室(現在の部会に当たる)が大部分の教務の遂行の担い手であり、各種委員の選出の母胎であった。それぞれの教室は独自の個性をもっていておもしろかったが、教室間の風通しはあまりよいとはいえなかった。ただ多くの問題は教室が意見集約の基本単位であり、その意味では情報をえたり、問題に対処したりするのに大きな手間はかからなかった。当時私が所属していたドイツ語教室は教員三十五人の大所帯であり、そのなかには会議と名のつくものにはいっさい出てこない人もいた。中には名前と顔が一致するまで五年ぐらいを要したこともあった。当時においてもこれらはケシカランことであっただろうが、こうした問題を教室内で何とか処理するだけの余裕が、この当時にはまだあったということなのだろう。

したがって教室をこえたレヴェルで他の教員と交わる機会は、教室から選出されて各種委員会に所属する場合にほぼ限られていた。私が最初に所属したのは、学生委員会(当時の第六委員会)だったが、寮委員会とともに活動的な学生とかかわる点でかなり骨の折れる任務を背負っており、この部分だけは現在のそれと比べてはるかに時間と神経を費やす分野であったといえるだろう。当時「風の旅団」という政治性を帯びた(と思われる)劇団が構内に入って興行を行おうとして大学側と諍いになり、何とかして進入を食い止めた後、夜に再度進入することを警戒して各入口で見張りを立てたことがあった。私は矢内原門を担当することになり、そこでたき火を囲みながら、当時英語教室に所属していた柴田元幸さんと、モラトリアム世代である互いの来し方についてじっくり話し込んだことはなつかしい記憶として残っている。

私が赴任したのは多数の新任教員がいた年度であり、そのためこの学部報で「時に沿って」という自己紹介の文章を書く機会はもらえなかったが、その代わりということだろうか、図学教室の助手をされていた野口徹さんの『中世京都の町屋』という本の書評の仕事が回ってきた。当時ヨーロッパの都市空間や都市建築に興味を抱いていた私にとって刺激に満ちた実証的研究であり、そうした立場からいろいろ批評をさせていただいた。後に人づてではあったが、御本人が私の書評を大変喜んでおられるというお話を聞き、安堵した思い出がある。しかしそれからしばらくして教授会の場で野口さんの急逝が報告された。

思えばこれ以降、駒場の教員や本郷の顔見知りの教員の訃報に接する機会がしばしばあったような印象をもっているが、これも私が勤めた三十年という歳月を考えれば、それほど大仰なことではないと言えるだろうか。

そのなかでもとりわけここで書き留めざるをえないのは、ドイツ語部会で、私と同年に生まれた二人の同僚が私の部会主任の時期に相次いで病に倒れ、逝去されたという事態である。正確にいえばお一人は私の任期中に倒れ、任期終了後まもなくお亡くなりになったのだが。
休職の延長を部会会議に諮るために、御本人に直接お会いしたり、メールをやりとりしたりして御病状を把握し、会議で報告するという作業はなかなか辛いものがあった。ただその後お二人が専攻で活躍され、優秀な学生を育てられていたことなどを伺い、また、お一人の蔵書をまとまったかたちで学部図書館に寄贈するのに(岡部文庫)微力ながら貢献できたことで心が幾分か和むことにもなった。

思い出すまま書き進めているうちにそろそろ与えられた字数を超えそうである。最近は授業で折に触れて雑談をすることが多く、授業の進行の妨げになっているが、時々雑談の情報が、話し相手の学生の生まれる以前のものだったことに気づき、あわてて学生の方を向くと何人かの学生のしらけた表情に出くわすことがある。私にはつい最近のことのように思えることが、彼らにとっては遠い過去のことなのだと改めて思い返した。そろそろこの教育現場を離れるべき時がきたなと思う瞬間である。

(地域文化研究/ドイツ語)

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