HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報599号(2018年4月 2日)

教養学部報

第599号 外部公開

<本の棚>中尾まさみ著『英語圏の現代詩を読む ─語学力と思考力を鍛える12講』

アルヴィ宮本なほ子

『英語圏の現代詩を読む』の各講義は、山あり谷ありの知の冒険へ読者を誘う。本書を読むことを通して、教室でこの本のもととなった講義を受講した学生と同様に「語学力と思考力を鍛える12講」に参加するならば、読者は、その冒険の途上で、世界の広さに驚くだけでなく、想像力と知力を駆使して「謎」(=知らないこと)に満ちた世界が新しい相貌を見せる瞬間を何度も掴み取るだろう。「謎」は、「無意識」や「韻律」、「地域紛争」や「植民地化」など様々なテーマを扱う本書を貫く鍵語である。「謎」に取り組む知的冒険の過程で語学力と思考力、真の意味での知識が培われ、広い世界のさらなる謎を解くためのさらなる冒険へと踏み出す準備が整ってゆく。

読者の冒険を先導する著者は、「ネッシーは何語を話すか」(第1講に加筆修正して収録)で理系、文系を問わず受講者をうならせた名講義の語り手である。読者、特に冒険の初心者がついてこられるように、読者の理解を促し、確認しながら丁寧に論を進めるだけでなく、「はじめに」で講義の予習、復習の仕方を説明している。各章のキーワード、「ディスカッション」用の問題、図版、音源、読書案内や主要な作品の全文など、読者の冒険を補助する工夫が随所に配置されている。

本書は、英語圏(現代)詩の研究者、詩の愛好家などのコアな読者だけでなく、その外側の知的な一般読者へと差し出されている。本書を貫く最大の「謎」が、殆どの日本人読者が知らないであろう(と思われる)英語圏の現代詩であるとすれば、その謎は、同時代の「詩」であるからこそ、人を人たらしめる言葉はただの道具ではないことを読者に思い知らせる。詩とは言葉の美や実用性だけでなくその深さを体験させる言語形式である。本書は、詩の言葉の深みが紡ぎ出す「謎」を、普通の言葉(散文)で語る講義を通して(読者の)普通の世界へと接続させ、読者の知的空間に新たな地平を拓く。本書が論文ではなく「講義」形式を取ったことによって、一つひとつの言葉を深く詳細に読み解くと同時に様々なコンテクストに関連付けて広げていく著者とテクストとの驚くべき豊かな対話と、テクスト読解の醍醐味から生まれる目眩く喜びを、読者が(追)体験できるメリットは測り知れない。

本書の12講は、「旧イギリス帝国の植民地として英語の使用を強いられた歴史をもつ国々」の様々な詩人たちの作品を扱う。詩の形式と内容は切り離せないという著者の主張は、各章の繊細なテクスト分析、現代のポストコロニアルの政治・文化状況への鋭い洞察によって十全に裏打ちされている。特に、マオリ語やマオリの慣習を鏤めたジェイムズ・K・バクスターの「暗い歓迎」の読解は圧巻である(第4講)。バクスターが伝統的な英詩の定型詩の中でも最も複雑な韻律形式セスティーナを用いて「共同体の再生の儀式」(=「暗い歓迎」)を執り行うことの意味が、韻律、詩の中のマオリ語とそのイメージの分析、詩人の伝記的事実やニュージーランドの文化的・政治的状況などの幾つものコンテクストから検討される。異なる文化と「周辺化された人々」が存在する共同体の再生という困難な内容は、その困難に匹敵する複雑な形式を用いて表現され、「洗練された詩の技巧を楽しむ」社交詩セスティーナは、「セスティーナを生んだ文化とは全くちがうマオリの文化」を迎え入れるのである。

「おわりに」は、日本語で書かれた本書を読む日本在住の読者の当事者意識を刺激する「謎」を提供する。著者は、アメリカからアイルランドに移住したジュリー・オキャラハンの「謎」というタイトルの短詩に、『枕草子』の蠅のぬれ足(「虫は」)、賤の屋に降る雪と月光(「にげなきもの」)の影響を読み取る。日本文学が異なる文字・文化圏の文学の中で新たな形で生を得る不思議に読者は瞠目し、「謎」が投げかけるいくつもの謎を解き、「「世界の理解」というとてつもなく大きな主題」に鍛えた知力と想像力で取り組みたいと思うだろう。知的冒険に出発したい人には必読書である。

(地域文化研究/英語)

 

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