HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報600号(2018年5月 8日)

教養学部報

第600号 外部公開

<600号記念特集>学部報の思い出から

内田隆三

教養学部報の編集委員をしていたのは、二〇世紀末の前後、ある意味で時代の流れが変わっていく頃だったと思う。当時の教養学部報の編集室は、いま理想の教育棟のある辺りにあった建物二階の片隅にあり、同じフロアに学生課や学生委員会の部屋があったように思う。編集室は小さな部屋で、近くの壁には学生アルバイトの紹介札が掲示されていた。古びた狭いフロアに人の出入りが多いので、ふとした折りに混雑と急ぎ足を身近に感じたのが印象に残っている。

世の中、いつのまにか、人を包み込む空間が大きくなり、人と人のあいだの隙間や距離も広がっていったような気がする。ある種の余裕や落ち着いた雰囲気が空間化したともいえるが、空間の余裕や落ち着きぶりと、人のそれとは必ずしも同じではない。空間の容量拡大は結構なことだが、人が人にとってより遠隔対象性を帯びる社会の成立と関連している可能性なしとしない。公共の空間、街路、マンションでも、人が人にとって未確認歩行物体として仮想される、衛生学的な監視や相互作用の網の目が社会に構造化されていくご時勢だからである。

うっかり過していると、現代の空間はビッグネス(bigness)への志向と衛生学的(hygienic)な浄化を重要なモードにしている? が、こんな風に思うのも、その半分は、学部報編集「室」が駒場キャンパスのなかをさ迷い、少し広くなったかと安堵すると、やがて縮小一途の道を辿り、遂には一個の「机」になったという小史が記憶の片隅にあるからだろうか。

学部報を編集していた頃、ネットによる広報のシステムが導入され、紙媒体による学部報の現在価値がやや相対化されはじめた。が、そのせいか、私の胸中では、初代教養学部長の時代に創始された学部報はその歴史的価値を大きくしていった。矢内原忠雄先生の「駒場の思い出」を読むと、学部報誕生のきっかけは、先生が「教養学部在任中の最大の事件」とされる、昭和二十五年秋の試験ボイコット事件にあった。たぶん問題の本質は、新制大学が発足し、突如駒場に四千人以上の学生からなる、教養学部という大容量の社会が誕生したことにある。学部報は、クラス担任制とともに、この大容量の社会にコミュニケーションを循環させようとする試みの一つだったのである。それから半世紀ほどして、わたしは学部報の編集委員長になっていた。

部数通りに学部報が刷り上がると、まあほっとして「紙面」を眺めるのだが、仕事を忘れ、ある記事とその余白にある他の記事とのあいだに思いがけない関連を発見することもある。ネットのHPにも記事の一部は載るが、この場合、「目次一覧」頁からのリニアーな検索・抽出方式なので、必要な記事だけが、その余白を伴わず、瞬時に現れる。そのため、思いがけない関連や余白に存在する他の記事への脱線的な読み方も起こりにくい。「紙面」の場合、複数の記事が同じ頁の中でモザイク状に入り組んでいたり、記事の続きが次頁以下に飛び地のように置かれたりしていて、ふしぎな脈絡─隣接関係を読む味わいもある。

ほどほどの余裕しかない有限の「紙面」だが、それは脈絡の異なるパラレルな世界を幾つか潜在させている。他方、「電子画面」は容量をこなし、執筆者も字数制限をそう気にしないで済む。ただ、本を電子出版して思うのは、随時修正可能なので「改」(version)はあるが、「版」(edition)の概念が馴染みにくい。また、特定の個人向けに本が装丁・製作されると、本という厚みは著者の向こう側の未知の現象となり、痕跡は文字通り情報だけになる。いまや神聖不可侵の〈現実界〉と成りつつある情報空間のなかに立つと、セキュリティ維持の労役を課され、本の感触も遮蔽される。オックスフォードのモース刑事巡査ではないが、《ici, loin du monde réel》というオペラの歌詞を思い出し、ふと後ろを振り返る感じになる。

うしろを振り返るというと変だが、まあこんなこともあった。編集室のSさんから、古い時代の学部報が時計台の地下に眠っているのを発見したと知らされた。寒い時節で、ピラミッドの地下室みたいな空間に行けば、風邪がぶり返すと思ったが、案内のまま階段を降りて、その部屋に到達した。階段を下りるまではいいが、部屋に入ると、ちょっと後ろの方が気になった。妖怪が出る時間帯ではないが、まわりの時空が深いように感じた。重い冷気によって、溜まった埃が静止状態にある部屋で、事件の現場のように、ミシミシ歩き回るのはよくないと思った。

万一、重大な痕跡でもと、部屋の中を見渡すと、暗室に保存されたミイラみたいに、古い学部報が、一束、一束とざら紙のようなものに巻かれ、十数体ほど積み重ねられていた。捜索隊長のSさんは、これを整理して編集室に運び込むという意気込みだったが、こんな冷気のこもる部屋で仕事をすると、体を壊しかねないので、まずは運搬具を頼んで、編集室まで運び出し、そのうえで内容を精査したらどうかと意見を述べた。

ざっとこんな風に場を去ったが、暫くして学部報編集室に行くと、壁を背にした本棚の各段には、古い学部報の束が考古学の標本のように整理され、新しい紙に包まれて並べられていた。それらはいわば旧紙幣のように、流通から廃棄された何物かに回帰していた。注意深い人の視線だけが、それらに多少の命を回復するのだろう。

いまや学部報の歴史的経過を知るには、縮刷版とHP上のアーカイブを用いるのが便利だろう。だがあのとき、眼前で学部報の歴史的現存に接すると、何かふしぎな感情が湧いてくるのを覚えた。それで学部報発刊の頃の号を読んでみる気になった。昭和二十六年四月十日、学部報の創刊号には矢内原先生の「眞理探究の精神を」が掲載されている。新入生諸君も後ろの方にタイムスリップし、図書館にある学部報を読んでみたらと思うが、「眞理探究」の道筋は、語られた言葉や印象を深く問い直す地点から始まる。その道筋にふと《ici》が現れれば幸いかと思う。

(東京大学名誉教授)

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