HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報601号(2018年6月 1日)

教養学部報

第601号 外部公開

<時に沿って>ポスト・グローバル化の駒場で

馬路智仁

二〇一八年四月に、総合文化研究科国際社会科学専攻に助教として着任しました馬路智仁と申します。二〇一六年にケンブリッジ大学で博士号を取得し、その後早稲田大学・助教を経て、再び学部・大学院を過ごした駒場に戻ってきました。快楽と苦痛の両方の面において多くの想い出の詰まった愛着のある環境で再び研究や仕事をすることができ、とても嬉しく思っております。

さて、私は主としてイギリスの政治思想史を、とりわけ快苦計算に依拠する功利主義ではなく、十九世紀後半から二十世紀前半にかけての功利主義後の政治思想・知性史を研究しております。具体的には、イギリス観念論、ニューリベラリズム、リベラル帝国主義、リベラル国際主義、ブリティッシュ・コモンウェルス、初期国際関係論、人種主義といったところが研究トピックとなります。かなりの程度後知恵になりますが、イギリスのこの時代の政治思想史研究に行き着いた大きな理由が二つあるように思います。

一つは、私が大学に入学した二〇〇〇年代初期の日常言語を席巻していたグローバル化という言葉や認識と関係しています。今日ではもはや陳腐で色褪せつつあるその言葉ですが、当時は世界の劇的な一体的変革・変貌を表す新鮮な表現として多くの先生や学生が合言葉のように用いていました。駒場生協の書籍部に積んであった(学部一年生のときに私も購入した)本の一つが、トーマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木』(草思社、二〇〇〇年)であったのもそうした状況の一表象でしょう。しかしこれを背景に、二十世紀への世紀転換期におけるイギリスの思想家の著作、たとえばJ.A.ホブスンの『帝国主義論』(原著一九〇二年)を読んだとき、自身の認識が大きく揺さぶられる想いがしました。なぜならそうした著作には既に、技術革新に支えられた世界全体の相互依存・一体化という理解が既に明確に現れており、それを前提とした世界政治の議論が展開されていたからです(後に知った専門用語として、プロト・グローバル化の時代)。私は自身の現状認識を相対化する意味でも、一世紀前の思想状況に急速に惹かれていきました。

二つ目もまた、駒場の学部生であったときに受けた衝撃に由来します。それはイラク戦争であり、アメリカやイギリスが遠隔の地に普遍主義を掲げつつ暴力的に介入していく状況です(この原稿を書いているときにも、米英仏によるシリア空爆が起こりました)。同じく生協書籍部にあったマイケル・イグナティエフの『軽い帝国』(風行社、二〇〇三年)を読み、なぜ自由や平等、法の支配を掲げるリベラルが、逆説的ともいえる世界の階層的秩序(帝国)や介入的暴力を肯定していくのだろうと戸惑いを覚えた記憶があります。これが約一世紀前のイギリスにおけるリベラル帝国主義やリベラル国際主義の思想の研究へ向かった、もう一つの原体験です。

先に「後知恵」と書きましたが、元々の研究動機としては大きく逸れていない気がします。かつてのグローバル化言説が一段落つき、リベラル国際主義が後退しつつある現今の中、「ホーム」のような駒場での仕事を楽しみつつ、改めて帝国や世界秩序をめぐる政治思想史研究に取り組んでいきたいと思います。

(国際社会科学/国際関係)

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