教養学部報
第602号
<時に沿って>東大怖い
小林浩二
二〇一八年一月十六日付で総合文化研究科広域科学専攻の講師に着任しました。また、昨年設置された数理・情報教育研究センターにも所属し、むしろ該センターの業務を主活動としています。アルゴリズムに関する研究を専門としており、センターではそれを活かして文理を問わない数理・データサイエンスに関わる教育活動に従事しています。
私生まれも育ちも千葉ですが、京都大学に進学したため、着任の日まで東大を訪れた回数は十にも及びませんでした。言い換えれば東大要素が微塵もない。赤門に差し掛かると今でも畏怖の念からつい写真を撮ってしまう、それが私です。一体この東大の「怖さ」はどこから来るのでしょうか? 例えば、つい先日のことですが、電車を待つ駒場東大前駅のホームにおいて盛り上がる東大生たちの会話が耳に飛び込んできました。
「渋谷メシ行っちゃう?」
し、しぶやめしだと…。京大生なら同じ状況でもこうなります。
「吉田山登っちゃう?」
一部の京大生は酒瓶担いで山に登るのが大好きです。分かりますね、この文化的ギャップ。これが怖さの原因か。
さておき、高度な会話と専門用語の多さが、東大のその怖さの一因ではないかと私的には考えています。例えば、他の先生や学生さんなどと話をしていると、前期課程・後期課程から始めて、シンフリやシケタイという類の東大語が間断なく飛び出してきます。そんなとき、アルゴリズムを扱う様ないわゆる理論計算機科学分野を背景とする人間が恐怖と同時に感じていることは、「で、入力と出力は何なの?」と「それ定義されてないよね」です。然も話を真剣に聞いているかの様な私が時折薄ら笑いしている場合、大抵そんなことを考えています。
押し並べて我々の周りの日常の出来事、とりわけ仕事や学業の類は、解決すべき問題(入力)があり、それに対して得るべき解(出力)から構成されています。そしてアルゴリズムとは、その様な入力から出力を得る為の方法のことを指します。そのアルゴリズム研究において一番に求められるのは論理的な思考力です。そこで、この思考力を習得・強化し、(東大語には正面から対処できずとも)入出力を明らかにすることで怖さの元凶の一端を取り除いたより怖くない東大生活を実現することが可能となるのです。(はい)
学部報を読む方というのは、担当事務の方か一〇センチ沈むふかふかの椅子に常時座っている偉い方くらいだと信じていますが、勢い余って読んでしまった学生さん・院生さん、私の担当する授業か何かに関わってしまった場合、是非論理的思考力を会得する機会にして頂けたら、と思っています。該センターにおいては、私の専門の観点から言えば、論理的な思考力を身に付け、皆様が将来薄笑いを浮かべずとも済む様な社会を目指した教育活動を精力的に行っていく所存です。今後ともご期待頂くと共に、ご協力宜しくお願いします。
(広域システム科学/情報・図形)
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