HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報606号(2019年1月 8日)

教養学部報

第606号 外部公開

駒場をあとに「駒場を去るにあたって」

小森陽一

「駒場に来てもらえませんかね」と、成城学園前駅近くの居酒屋で突然切り出されたのは、近世文学の延広真治先生であった。私の前任校の成城大学文芸学部に、その頃非常勤講師としていらしていただいていた。私の連れ合いの実家のすぐ近くに延広先生の御宅があったので、身内のような親しさで飲み友だちにさせていただいていた。
夏目漱石の研究に画期的な新局面を拓かれた、越智治雄先生の後任にあたるポストだと知らされ、とても名誉なこととしてお受けすることにした。成城大学の同僚の先生方からも、喜んで送り出していただいた。駒場に着任してから、私の人事をめぐって〈異論・反論・オブジェクション〉があったと知らされた。思えばこのときは、国立大学の大きな転換期でもあった。
国際的な競争に勝つために、大学教育の専門性を高めるというふれこみで、文部省(当時)は大学院大学化を押し進める一方で、一般教養課程を大学教育から切り捨てようとしていた。
私が専門としている「日本近代文学」(明治以降の詩・小説・和歌・俳句・評論等を研究対象とする学問領域)は、戦後の新制大学の一般教養課程に組み込まれることによって大学で講じられる学問として認知されるようになった。だから東京大学では三好行雄先生が一人目、先の越智先生が二人目の「日本近代文学」専攻の教授であった。
私たちの世代の教師にあたる日本近代文学の専門家の多くは大学の教員になる前は、中学や高校の国語の教師であった。つまり「日本近代文学」という学問領域そのものが、大学の一般教養課程と共にあったのだから、文部省の方針は断じて許せなかった。
駒場に着任する際、国家公務員として「日本国憲法」を「尊重し擁護する」宣誓をする瞬間、改めて憲法は国家機関を主権者である国民が縛る最高法規であることを自覚させられた。さらに駒場は一般教養教育を維持したまま、大学院大学として自立するという、蓮實重彦教養学部長の宣言に胸をうたれた。おそらくそれまで何度も議論が積み重ねられて来たに違いない。「大学院総合文化研究科」の基本構想を、渡辺守章評議員から詳細に説明を受け、一般教養教育を守り発展させる意気込みを、私たち新任の教職員にも手渡された。
なんだか大変なところに来てしまったな、という思いも一方であったが、文部省の一般教養教育切り捨て政策に対して、学部全体が一致して抵抗し、押し返していく新しい同僚たちをたのもしく思う気持の方が強かった。
以前からの友人、カリフォルニア大学アーヴァイン校のジェームズ・フジイ教授に大学を移った旨の近況報告の手紙を書き、事務室に航空便の封筒をもらいにいった。左上に教養学部の住所が英語で印刷されてあった。知識としてはもちろん知っていたが、学生時代「パンキョウ」などと軽く考えていた学問領域が、実は「リベラル・アーツ」であったのだ!という認識が全身を貫いた。
だから、その「リベラル・アーツ」教育の新しい可能性を駒場の教育現場から発信しようと「知の技法」のプロジェクトが始められたとき、私は喜んで参加させていただいた。その当時の知の最先端の課題を学生たちと共有していくための取り組みであった。私のように、公に「自衛隊は憲法違反の軍事組織だ」と表明し続けて来た者が、一度だけ防衛大学の教官組織から講演を依頼されたのも、出版されたばかりの『知の技法』の紹介のためであった。
駒場の同僚たちから学んだのは、常に学生と共に考え、話し合い、同じ大学人として対等に一緒になって問題を解決していく姿勢であった。「駒場寮廃寮」をめぐって厳しく対立していたときも、夜を徹して学生たちと合意を形成するまで話し合いを続ける、同僚たちのねばり強さに何度も感服させられた。
国立大学法人化に対しても、教授会全体として反対していく立場が確認され、同僚たちと何度も国会に足を運んだ。第一次安倍晋三政権の下で、一九四七年に制定された「教育基本法」が改悪されようとしたとき、それに反対する全国的な運動が広がっていた。「駒場寮廃寮」の際に激しくやりあったことのある学生が大学院生になっており、「教育基本法改悪反対」の横断幕を掲げ、一緒に国会前で座り込みをした事が感慨深かった。この年の十二月八日、加藤周一氏を学生と教員有志で駒場にお招きし、九〇〇番教室を一杯にした講演会を開いた。夜遅くまで加藤氏と対等に議論を交わす学生たちをたのもしく思った。
国の教育政策と文科省の文部行政は劣化しつづけている。この状況を押し返していけるよう同僚のみなさんにお願いしたい。そして駒場を去る直前まで委員長の任にあった者として、教職員組合に加入していただくよう、すべての同僚のみなさんに訴えさせていただき、この文章の結びとさせていただきます。

(言語情報科学/国文・漢文学)

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