HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報607号(2019年2月 1日)

教養学部報

第607号 外部公開

駒場をあとに「黒板のある建物で数学を」

坪井 俊

一九九五年夏に数理科学研究科棟第一期棟が竣工し研究科の教員は駒場に集結することになった。そのころ生まれた人も今ではとっくに大学を卒業してしまっているという昔のことになる。
数理科学研究科はそれまでの理学部数学教室、教養学部数学教室(基礎科学科の数学を含む)が統合して一九九二年四月に設立された。新研究科は教養学部のご厚意で駒場に居を構えることになった。新研究科には問題が山積していて当時の執行部は果てしなく対応に追われていたが、メンバーにとっても設立前後三年間は本郷と駒場で交互に一週おきに会議をおこなうなど、いろいろと面倒だった。
私自身は重責の回ってこない若手だったが、偶然建物委員を仰せつかってしまった。これは仕事の結果が形になるというやる気の出る仕事ではあった。香山壽夫先生のアトリエがこの建築にかかわって下さり、図面に対しては口を出せるものではなかったが、建物の機能についてはコモンルームの設置をはじめ様々な要望を聞いていただいた。そのときの要望をまとめた文書が残っている。さらに幸運にも一九九八年には二五〇人規模の大講義室をもつ第二期棟が完成し、旧第一研究室と旧第四号館におられた数理科学研究科の教員全員が研究科棟に入居することができた。
研究科棟では原則としてすべての部屋に黒板を設置し、大講義室には中央に上下三段その両側に上下二段の黒板を配してもらった。やはり数学の講義は黒板で行わなければならない。ずっと最近のことであるが、教養学部の新しい建物の講義室が講義をする教員の意見を聞くことなく白板になっているのを見たときには、正直にがっかりしたと述べて座をしらけさせてしまった。
新築当時の研究科棟は当然のことながら最も快適な建物であった。その後駒場には沢山の建物が建てられたが、現在でも住人には比較的満足していただいていると勝手に思っている。
その後法人化直後に数理図書室の増築工事を絶妙のタイミングで行うことができた。実は耐震強度構造計算書偽装事件があり、我々の増築工事直後から増築予定で施工した部分でも改めて巨額の費用を伴う耐震検査をしない限り増築できなくなってしまったのである。数理図書室増築部分には梅林、矢内原公園を望むスペースがあり、そこは研究科棟の中でコモンルームのテラスとともに気持ちの良い場所である。第二期棟部分にも巨大な書庫を設置したが、増築後十五年近く経ってこのお気に入りのスペースも計画通りではあるが書架で埋まってきている。
建物の話ばかりで申し訳ないが、二十数年の駒場生活のほとんどの時間は数理科学研究科棟にいたのだからお許しいただきたい。
衣食足りて礼節を知るといわれるが、数学研究には衣食住のなかで住の要素が重要であるように思う。もちろんもっと大切なのは人、人との出会いであるが、出会えた人と黒板の前で議論できると良い数学が出来そうな気がする。黒板に学生が写せないくらい速く書く先生もいることはいるが、黒板に書きながら説明するスピードは人間が概念を理解できるスピードとちょうど同じくらいなのだろうと思う。自分が他人に説明するときは同じことを何度も書くのでやっと自分で理解できるような気がする。
学生さんも読むかもしれないので書かせていただくと、教養学部前期課程(一年生二年生)の数学の選択の講義は試験を受けなくともよいから聞いておくべきものだ。数学を少しでも使う学科ではほとんどの内容は必要となり後期課程(三年生四年生)で勉強することになるはずだが、一度聞いたことのあることをもう一度勉強するのと初めて勉強するのでは理解の程度がずいぶん違うし、何度も繰り返してやっと必要な概念の理解に至ると思う。制度的にこういう履修を推奨できると良い。
住の話ということで数理科学研究科が維持管理している玉原国際セミナーハウスについても書かせていただく。標高一二〇〇メートルの高原の公園内にある素晴らしい施設と多くの外国人研究者からも称賛してもらっている。セミナーハウスには高さ一八〇センチ幅二四〇センチの特注の黒板が二台あり、それらの裏はプロジェクタのスクリーンとなっている。黒板があるからというだけではなく、時間を気にすることなく議論ができる良い環境である。駒場から三時間で現地に着くことができるが、この建物の維持のために事務の方々に本当にお世話になっている。木造の建物を雪から守るためのペンキ塗り、環境維持のための周辺の草刈りに、この十四年間、毎年ご協力いただき(延べ三〇〇人にもなりますが)本当に感謝しています。それぞれ一泊二日の作業であるが、私としては夜の飲み会でいろいろな話を聞かせていただけることが楽しみでした。
このような黒板とともに数学のできる環境にはなかなか巡り会えるものではなく、これまで居られたことに感謝しています。この環境を育てていっていただけるものと信じています。

(数理科学研究科)

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