HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報607号(2019年2月 1日)

教養学部報

第607号 外部公開

驚異の8K映像で観るルーヴル美術館 ─芸術と技術の融合をめざして─

三浦 篤

二〇一八年十二月一日からNHK BSで4K、8Kの本放送が始まった。このことは何を意味するのか。はたして我々と映像との関係は今後どう変わっていくのか。美術と映像との関係を中心に置きながら、この問題を検討してみよう。
現在のテレビ映像は2K、あるいは受像機次第では4Kで見ることができるのだが、近年さらに解像度の高い8Kで撮影した映像が見られるようになった(受像機も発売されているがまだ高価)。テレビの画面は微少な素子(画素)が光ることで文字や動画を描き出しているが、画素数が画面の精密度と関係している。現在の2Kテレビは横一九二〇画素、縦一〇八〇画素だが、4Kは横三八四〇、縦二一六〇、8Kは横七六八〇、縦四三二〇となり、実に8Kスーパーハイビジョンは、2Kフルハイビジョンの約十六倍(約二〇〇万→約三三〇〇万画素)の解像度を持つ高精細映像なのである。
この超高精細の動画撮影技術は、スポーツ中継(東京五輪)や医療(診断・手術)を始めとして、さまざまな分野への応用が期待されるのだが、美術作品を8Kで撮影することもまた重要な可能性として注目されている。例えば、フランスのルーヴル美術館の傑作(《ミロのヴィーナス》や《モナ・リザ》など)を、NHKが開発した8K技術で撮影したらどうなるのか。今まで映せなかった空気感、立体感をリアルな臨場感とともに再現できたり、肉眼では捉えることのできなかった細部が見られたりしたら、美術史家でなくとも興味津々であろう。実は、既にルーヴル美術館の名作九点が8Kで撮影され、「ルーヴル 永遠の美」という番組にまとめられて、昨年度から一部放送局ではモニターで観られるようになっていた。まさに息を飲む美しさである。
それを目にするならば、芸術と科学の融合によって肉眼を超えた精緻な映像が誕生し、美術へのまなざしやアプローチも変貌を迫られていることが実感される。はたして8Kは作品の鑑賞や研究にどのような新知見をもたらすのか。ここでは、「保存・修復」、「分析・研究」、「教育・普及」という三つの観点から、8K映像と美術作品の関わりについて考察してみよう。
(1)保存・修復 8K映像によって、ある時点における作品の現状を精密に記録できれば、保存や修復の現場における強力な味方になるであろう。言うまでもなく、生身の美術作品には経年劣化、自然損耗、災害や人為による損傷などがつきものである。時間の経過とともに作品の状態が変化していくそのプロセスを、一定の間隔で映像(画像)として記録していけば、それはとりもなおさず作品の歴史を正確に記録した貴重な資料ということになる。むろん、それに基づいて作品をどこまで修復するのかについては、誕生した時の状態にできるだけ近づけるのか、最低限の手当でそのまま老いさせるのかという両極端をめぐるさまざまな議論がある。しかしながら、どういう形の保存・修復の道を選ぶにしても、8K映像は大いに貢献するに違いない。
(2)分析・研究 作品の分析や研究という側面で8K映像が寄与することはあり得るのかという問いも重要である。彫刻に関しては、古代ギリシアの《サモトラケのニケ》にしても《ミロのヴィーナス》にしても、これまでの複製写真にはなかった多様な角度からのアプローチが新鮮だし、素材の質感、光の浸潤、空間の広がりなども十分感じとることができる。ただし今後、学術的にどこまで貢献できるのかは未知数である。
その点、画家の手業の痕跡が画面に残る絵画の方がより研究の可能性を秘めているかもしれない。細部を拡大してそれまで気づかなかった小さなモチーフを識別することで、画家の意図が推し図られる例としては、ヤン・ファン・エイク《宰相ロランの聖母子》(一四三五年)が挙げられるし、画家の技法の具体的詳細がわかる例としてはヤン・フェルメールの《レースを編む女》(一六六五年)が注目に値する。さらに、フラ・アンジェリコ《聖母戴冠》(一四三四─三五年)の場合、もっと解像度の高い静止画像よりも画面の質感がクリアになるのが興味深い。おそらく、動画の方が眼の生理に近いからではなかろうか。
また、ジャック=ルイ・ダヴィッド《皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠》(一八〇五─〇七年)のような大作を、8K映像で観ると違った発見がある。通常はよく見えない多数の人物の顔を肖像画に匹敵する精度で描き分けており、人物の表情に戴冠式への各々の心理的反応が付与されているのが印象に残る。レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》(一五〇三─〇五年)の拡大された細部もさらなる考察へ誘う面白さを示している。この超高精細動画は美術史研究にも一定の寄与をもたらす可能性があると言えよう。
(3)教育・普及 専門家ではなく一般の人にとって、8Kはどのような意味をもつのであろうか。パリに住んでいない我々が、ルーブル美術館の実作品を常時鑑賞することはできない。遠くに住む人や障害者など、作品を容易に見に行けない人にとって、リアルな感覚とともに迫ってくる作品映像を見ることができるのは、疑似体験とは言いながら一種の福音かもしれない。精度の高い映像で作品を鑑賞する楽しみが認識され、広く行き渡れば、教材や番組の製作にも力が入るであろう。8K映像は教育や啓蒙という目的にはよく合致するのではなかろうか。
このように、8Kを通して美術作品に接すると、肉眼で実見するのとは異次元の映像に出会うことは確かである。だからと言って、原作を見る必要はなくならないであろうし、原作を見なくても研究はできるとまでは思わない。現場主義への問題提起、意外な発見の可能性を踏まえた、新しいタイプの研究が生まれるのであろう。実際、人間の通常の能力(視力)を超える撮影技術は、今話題のAI(人工知能)と似た問題を惹起している。とはいえ、人類史を見わたしても、新しいテクノロジーは決して後戻りできない。美術においてもまた、その技術を適切に使用する方策を、知恵をしぼって追求するしかないのである。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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