HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報609号(2019年5月 8日)

教養学部報

第609号 外部公開

<後期課程案内> 文学部

人文社会系研究科 副研究科長 秋山 聰

「文」学部へのいざない
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/

文学部は、「文学」部と受け取られやすく、文学研究が中心であるかのように誤解されがちなところがあります。確かに文学研究は文学部の活動の重要な一画を占めていますが、あくまでも一画であり、文学部では伝統的に「哲学・思想」、「歴史」、「言語・文学」、「行動・社会」の四分野を柱として教育研究を展開しています。法学部、医学部、工学部、文学部、理学部、教養学部......と並べてゆくと自ずと気づくことですが、「学部」は構成単位を示すに過ぎないのですから、「文学」部ではなく、「文」学部と理解するべきなのです。確かに「文学」にも大学草創期には人文学諸分野を包摂するような意味もあったようですが、ともかくも「文」についての学部、と捉えた方が、今日の文学部の様態がわかりやすくなるでしょう。古今東西の「文献」や「文化」を探求し、世の「文(あや)」を解き明かすことによって、人間がいかに生きるべきかについての指針を提供すべく、研究成果を「文章」にして世に問う、文学部での営為はこのように言い表すこともできるかもしれません。
文学部における研究の根幹に、文章を書くこと、があるのは事実です。文学部教員は、実に様々な書物を、単独あるいは共同で執筆しています。伝統的に単独で執筆した著書(単著)を有することが教員には重んじられてきていますが、具体的にどのような書物が生み出されているのかを知るに便利なのが、人文社会科学振興の目的で最近東京大学が取り組みはじめた「UTokyoBiblioPlaza」(https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/)という企画です。東大の教員が自著についてわかりやすく語る、というこのHPから、最近の文学部の教員の活発な仕事ぶりを知ることができるでしょう。
文学部の学生諸君にとっても、文章を書くことは重要です。というのも、ほとんどの専修課程(研究室)では、卒業論文を必修科目としており、およそ四万字程度の論文を課しているところも少なからずあります。本郷への進学時には、まだせいぜい四千字程度のレポートくらいしか書いたことがない人がほとんどでしょうから、当初は戸惑うかもしれません。しかし、文学部での勉学を続けるうちに、ほとんどの学生がこの「難関」を四年次の一月初旬に、ともかくもクリアできるようになります。
論文を提出して卒業を果たした学生諸君は、およそ二割強が大学院に進学し研究者への道を志しますが、出版・放送やサービス業はもとより、金融・保険、情報・通信、商社・流通等の業種にも毎年数多く就職してゆきます。在学中は文章作成に苦手意識を有していたのに、会社の同期の仲間たちに頼られ、書類の添削を頼まれる、と驚きをもって語る卒業生もいます。全国的に卒論を課す大学の数が減少している昨今、卒論作成という経験は、言語運用能力を自然に高め、本人に気づかないうちに希少価値を付与する可能性があるようです。文学部としては、時の流れに身を任すことなく、また情報の氾濫に流されず、時にマジョリティの誤りに気付き、それを正しい文章によって正しうるような、そして必要に応じて社会におけるカウンターバランスたりうるような人材が多く育つことを期待しています。
文学部の研究分野は実に多岐に及び、現在二十六の専修課程を有しています。インド哲学とインド文学、美学・芸術学と美術史学が分かれていたり、イスラム学や現代文芸論等の研究室が存在したりするのは全国的にみても稀なことでしょう。どちらかという「温故知新」という傾向が強いと思われがちな文学部ですが、「文化資源学」、「死生学」や「人文情報学」といった新しい学問分野の創成や発展にも力を注いでいます。これらの研究室は、まだ学部生向けの専修課程を有してはいませんが、学部生でも受講できる授業を数多く開講しています。また、現在東京大学が積極的に推進している「国際卓越大学院」としては、大学院人文社会系研究科に「次世代育成プログラム」が開設されました。これは、近い将来、人文学諸分野を牽引しうる若手研究者を養成すべく、大学院入学時から五年間一定の奨学金を支給し、専門を深化させるとともに、学際的研究と国際発信を積極的に行わせよう、というものです。その特徴の一つは「学・修・博」一貫教育で、三年の学年末に希望者を募り、四年次から大学院の授業にも参加した上で、修士入学時に最終的に選抜されるという仕組みにあります。学部段階で研究者を目指す場合は、ぜひ挑戦してみてほしいと思います。
さて、私は美術史家として歴史家の末席を汚していることもあり、研究室の学生諸君には「史料批判」を重視すべきことを日頃から説いています。これは「資料批判」と読み替えても良いかもしれません。目の前の「資料」の内容をすべて真に受けるのではなく、細部を検討し、批判的に摂取することは、文系(に限らないかもしれませんが)諸学問の基本中の基本と言えるでしょう。この小文も決してそのまま真に受けるのではなく、批判的に読んで貰えれば幸いです。

(副研究科長/美術史学)

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