HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報611号(2019年7月 1日)

教養学部報

第611号 外部公開

桜と駒場の植栽管理計画

谷垣真理子

二〇一九年四月、駒場で六本の桜の木が伐採された。当日、そばを通りかかった人からは「切っちゃうんだ?」と言うつぶやきが聞こえた。「花をつけた桜の木を切る」のは、無粋で無慈悲なことに見えたであろう。しかし、それは決して思いつきでそうしたわけではない。以下、東京大学駒場Ⅰキャンパスの環境委員会の活動をご紹介したい。
環境委員会は、東京大学駒場Ⅰキャンパスにある各種委員会の一つである。樹木の剪定・伐採から構内の禁煙ルールの作成、さらに交通安全規則も、この委員会で議論してきた。文系理系全専攻のほか、数理科学研究科からも委員が選出されている。
さて、花が満開の時期になぜ桜の木を切ったのか? 日本有数の桜守である第十六代佐野藤右衛門は、桜の花が満開の時に、きちんとした作法で切るのが桜への礼儀だと言う。京都嵯峨野の植藤は御室御所(現・仁和寺)に植木職人として仕え、明治時代からは造園業を営んできた。当主は代々佐野藤右衛門を受け継ぐ。桜の伐採の当日、植藤と懇意な東京の富士植木の職人さんたちが、お神酒を木の根元に回しかけ、万感の思いを込めるがごとく、丁寧に切ってくださった。当日、刃物を入れられた時の桜の花吹雪は、最後の晴れ舞台を喜んでいるようにも思えた。
切った桜の木六本は、樹木調査ではすべて「危険樹木」と分類されていた。うち、一本はすでに枯れた状態であった。切り株を見ると、中が空洞化して、根がその空洞に入り込んでいたものがあった。桜の木は外周部が元気であれば、花を咲かせる。花が咲いていたからといって、その木全体が健康であるということではなかった。
樹木は一般に人よりも寿命が長い。しかし、染井吉野は江戸彼岸桜と大島桜の交配によって得られた品種を接ぎ木や挿し木で増やしたクローンで、寿命は六十年ほどであるといわれている。
駒場のラグビー場と野球場の間の土手に染井吉野の並木があり、駒場界隈の桜の名所である。野球場やテニスコートの周りには八重桜と枝垂れ桜の並木もある。野球場の枝垂れ桜は一九六四年の東京オリンピックの時に、駒場のグラウンドを世界各国の選手の練習場として開放したことへのお礼として、東京都から寄贈されたという(『教養学部報』第五六一号)。今回伐採した土手の染井吉野は、木の年輪の調査によって、一九二八年から一九三〇年にかけて植樹されたのではないかと推定された。
環境委員会が桜並木の育成管理をやろうとしたのは、今回がはじめてではない。三代前の下井守委員長や、二代前の池内昌彦委員長の時代に、田無の農場で駒場の染井吉野を接ぎ木して育ててもらった。しかし、接ぎ木した桜の木を植えるためには、今ある桜を伐採して場所を確保する必要があった。結局、調整がつかず、田無の農場の桜は育ちすぎてしまった。
やはり日本人は桜に特別の思い入れがあるのだろう。駒場人に納得してもらうため、今回は桜並木を「重要樹木群」として指定し、継続的に育成管理することを目指した。駒場の環境委員会は全学の植栽管理部会の構成員である。植栽管理部会では数年前から「シンボル樹木」「重要樹木群」を重点的に育成管理する制度を発足させていた。「重要樹木群」に認定されるべく、かくて、駒場の植栽管理計画案作りが始まった。
本郷地区ではここ十数年の間に、続々と新しい建物が建てられ、気がつけば見慣れた樹木がいつのまにか伐採されていたこともあったという。全学の植栽管理部会はその中で発足し、本郷の植栽管理計画が作成された。
言うまでもなく、本郷にある三四郎池は駒場にはなく、本郷地区よりも緑が豊かである。駒場の地には、第一高等学校とキャンパス交換するまで、東京帝国大学農学部があった。駒場の植栽管理計画では、土壌や下草を含めて、樹木を囲む環境全体に配慮した。駒場の木々には今、二つの難敵がある。ひとつは近年の温暖化の影響で、植栽の基盤である土壌が乾燥していることである。もうひとつは木の根元におかれた「重量物」である。自動車はもちろん、立て看設置でも、地面は堅く締まる。いずれの場合も、植物は根を張りにくくなり、去年のような台風が来れば、倒木の危険性が増す。
「育成管理」は何もかも「保護」するわけではない。残念ながら、危険樹木は放置できない。もし駒場の木々が森の中にあるならば、木々の寿命の尽きるまでそのままにしておけばよいであろう。しかし、駒場キャンパスには、八千名を超える学生・院生が在籍し、周辺からは保育園児や幼稚園児のお散歩を含めて多くの来訪者がある。
最後に、「なぜ、新しい桜を植えないのか?」という声を耳にする。実はそれは「植えない」のではなく、新しい桜を植える「時期を待っている」のである。桜の植樹は葉の茂った時期は避けた方がよいそうだ。
なお、今回、駒場のシンボルである銀杏並木も「重要樹木群」に認定された。桜並木と銀杏並木というふたつの「重要樹木群」を持つ駒場は、武蔵野の原生林の面影を保持している。多品種の桜を植えれば、次回の「更新」の時期は時間差でおとずれるだろう。百年後の駒場を思い浮かべながら、環境委員会は夏休みが終わるまで、どんな桜を植えるか、議論していくことになる。

(環境委員会委員/地域文化研究/中国語)

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