HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報611号(2019年7月 1日)

教養学部報

第611号 外部公開

<時に沿って> 人文学の危機と「有用性」

渡邊淳也

二〇一九年四月に、筑波大学から東京大学へ転任してまいりました。専門はフランス語、ロマンス諸語を対象とする意味論・語用論です。
これまで東大とは縁がありませんでしたので、かがやかしい大学にお迎えいただけたことに感謝しております。しかし、もともと東大への転任そのものを望んでいたわけではありませんでした。昨年度まで勤務していた大学では、財政難と、人文学に対する政策的な風当たりの強さから、予算や人員が減らされ、環境が急激に悪化してきておりました。専攻・領域が統廃合され、遠からず実質的には自分の居場所もなくなりそうでしたので、やむなき「緊急脱出」の心もちで移ってきたものです。東大はめぐまれた環境にあると思いますが、全国には同様に人文学が危機に瀕している大学が少なくありません。
近年の国家政策や、世間のひとびとが、人文学に対してむけている、まるで営利企業における不採算分野を見るようなまなざしには、大きなとまどいをおぼえます。そんなに「役に立たない」ことをしている余裕はない、「役に立つ」ことに資源をふり向けなければならない、という言説は、たびたび反復されています。
人文学関係者からも、具体的な有用性や、人文学が失われた場合のデメリットについて、いっそう明確で、説得的な証明を示すべきであるという発言がきこえてきます。しかもその際、「まわりまわって、間接的には役に立っている」とか、「こころが救われ、人生が豊かになる」といった「内向きの論理」ではひとを説得できない、というわけです。実際、長い伝統をもつ分野の堅牢な研究プロジェクトが粗雑に不採択とされる一方、たとえば言語学の知見を国際的な交渉に活かすことをうたったプロジェクトには予算がつくのを見たことがあります。
ところで今年、日本では元号があらためられ、その典拠や解釈についての解説が多く報道されました。世間の目からみても人文学が光彩を放った、最近ではめずらしい機会でした。もし人文学が廃れるなら、元号の深い意味を理解することができなくなるばかりか、元号をさだめることさえできなくなるでしょう。人文学の「有用性」は、いたるところにあると思っております。
しかし、そもそも「役に立つ」とはどういうことでしょうか。観察のかぎりでは、社会の現働化に力を貸していそうだとか、即時かつ直接のメリットがありそうだといった、漠たる印象でしかありません。いちいち例をあげて、人文学の「有用性」を示さなければならない、ということ自体、すでに学問の敗北であり、不当な課題をあたえられているように感じます。同時に、目先の利益にとらわれ、それに適わないと見なすものを蹂躙していることは、端的にいって無知のあらわれであり、日本の衰退の徴候とも思えます。古い考えといわれることは承知しておりますが、大学は変わらずに学問の孤塁を守りつづけることによってこそ、世界に対する定点観測ができるのではないでしょうか。
最後に、いまからおよそ百年まえに書かれた、ジョルジュ・パラントの著書から引用します。
「『公共の利益』、『一般意思』、『全員の幸福』といったイデオロギーも、同じ幻影の原則、精神を魔法にかけ、社会的法則に従属させる最終的調和の見とおしにもとづく。これらすべてのイデオロギーの根柢に、同じ詭弁、同じ循環論法がみられる。すなわち、『真の利益』『真の幸福』は、社会のために役立つことであると証明する際、問われていることを前提にしてしまっているのである。」─ジョルジュ・パラント『個人と社会の対立関係』、拙訳。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

第611号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報