HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報611号(2019年7月 1日)

教養学部報

第611号 外部公開

<時に沿って> 自己紹介のような、自己弁護のような

湯川 拓

image611_yukawa.jpg研究者として「若手」と呼ばれる時期も終わり「中堅」と呼ばれ始める頃になって、学部から大学院までを過ごした駒場に戻ってくることになりました。専門は国際関係論です。駒場に来る前は大阪大学で准教授をやっていました。その時に一番多かった質問は、実は国際関係論の内容に関するものではなく、「国際関係論を学んで何の役に立つのか」あるいはより広く「大学の勉強は何の役に立つのか」でした。特に、固有名詞の出てこない抽象的な理論などが─たとえそれ自体知的好奇心を刺激するものであっても─評判が悪いようです。今後もこの手の質問を受けるであろうことを踏まえ、この場で私の考えを述べてみたいと思います。
正直に言うと、私はこの問いに今一つうまく答えられません。学問分野によっては明らかに「社会の役に立つ」研究もあるでしょう。国際関係論の中でも学生の目から鱗を落とすように明快にこの問いに答えられる先生方も多々おられるでしょう。しかし、私が答えても、質問した学生の表情には幾分の疑念が残っています。どうもはぐらかされた気がするなあ。
それでも臆せずに、かつ思いきり短く言うと、私は以下のように考えています。ここでは「すること」と「知ること」に分けてみるのが良いと思います。国際関係論という分野で言えば、「すること」とは外交官とか政治家とかNGOとか、そういう方々の活動や相互作用になります。それに対し、我々研究者がやっているのは基本的には「知ること」です。国際関係というものがどのように動いているのか、変化しているのか、その背後にあるメカニズムは何か。一般的な理論を構築したり、データを採ってきて分析したり、歴史的な資料を読んだり。ここで、「知ること」は「すること」と比べて、目に見えて「社会の役に立つ」わけではないでしょう。しかし、たとえ迂遠ではあっても、「知ること」は「すること」の基盤を用意しています。例えば、戦争をなくすためにはどう「する」べきか、これは「べき論」であり「すること」のほうに入ります。しかしそのためには「なぜ戦争は起こるのか」という分析がまずは必要です。そしてそれは「知ること」の範囲に入ってきます。
以上が私の考えです。どうでしょうか。はぐらかされたように感じるでしょうか。その場合には「面白いから、純粋に知的好奇心で国際関係論をやるんだ」という身も蓋もない答えも用意しています。もちろん、公的な資金で研究を進める我々プロの研究者は、社会への貢献を常に意識しなければなりません。でも、学生の方はまずは「面白いから勉強/研究する」ことに罪悪感を覚えなくてよいと思います。私は学部三年の終わりまでは国家公務員を志望し、ダブルスクールにも通っていました。私にそれを翻して大学院に進ませたのは、ただ「もっと勉強したい」という情熱だったように思います。そして、願わくば今度は私が学生の方々の情熱を引き出す側に回れますように。それを目指して、私は今日も講義ノートを準備しています。

(国際社会科学/国際関係)

第611号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報