HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報611号(2019年7月 1日)

教養学部報

第611号 外部公開

<時に沿って> 文学のことばを

村上克尚

二〇一九年四月より、総合文化研究科言語情報科学専攻に着任しました。武田泰淳や大江健三郎など、日本の戦後文学を研究しています。戦争という巨大な暴力の後で紡がれてきた文学のことばの倫理性に関心を持っています。
もともとは慶應義塾大学の哲学科で、エマニュエル・レヴィナスの哲学を学んでいました。レヴィナスはユダヤ人で、親族や親友をナチスの強制収容所で失っています。そのような個人的な背景をもとに、レヴィナスの哲学は、共通の地平を持たない他者への倫理を出発点に定めています。
私はレヴィナスの哲学のアクチュアリティに惹かれていましたが、同時に、哲学者のことばをなぞって「他者」と言っているだけの自分はどうなのだろう、という思いが拭えずにいました。当時、九・一一テロに端を発したイラク、アフガニスタン戦争があり、小泉政権下での靖国参拝問題を機に排外的なナショナリズムが高まりつつありました。世界を味方/敵で二分化し、後者への差別・暴力を正当化する空気が蔓延するなか、いま、ここにいる自分にとっての「他者」とは何か、それを教えてくれることばを求めて、東大駒場の小森陽一先生のもとで、日本の戦後文学の研究を始めたのだったと思います。
戦後作家の一人である河野多惠子に「半年だけの恩師」というエッセイがあります。戦時下の女子専門学校に赴任したS先生は、河野たちに次のように語りかけます。
「皆さんは、じきに死ぬかもしれませんね。爆弾が落ちてくれば、そうなりそうですね」
私たちは、一層だまり込んだ。先生は続けられた。
「いつ死んでもいいように勉強するという気持でいてください。勉強しておくといっても、あまり時間がないかもしれませんね。ですから、一つずつの詩とか詩人たちの生涯で何が詩人にさせたかとか、そういうほんの僅なことで、少しでも豊かな心を養うようにしてください。でも、授業中に眠ければ、眠ってくださっていいのですよ。そして、目が覚めれば、また聴いてください」
その後、河野は動員された救護病院で、爆弾の雨に脅えながら、"No coward soul is mine"(私の魂は臆病ではない)というエミリ・ブロンテの詩にすがるようにして生き延びるのです。
戦争とは大袈裟な、と思われるかもしれません。しかし、犯人が「生きている価値がない」ということばで知的障害者たちの殺害を正当化し、政治家が「生産性がない」ということばでセクシュアリティの優劣を規定する社会に生きているとき、私は、この社会に蔓延することばとは別の、もっと真剣で、倫理的なことばに連なりたいと願います。そのとき、この河野のエッセイを思い出します。
なかなか「授業中に眠ければ、眠ってくださっていいのですよ」とは言えないのですが、多様な進路に進む皆さんに、一つでも、二つでも、これからの人生の支えになるような文学のことばを手渡せたら、と思っています。

(言語情報科学/国文・漢文学)

第611号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報