HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報614号(2019年12月 2日)

教養学部報

第614号 外部公開

駒場をあとに「リベラル・アーツの日々」

増田一夫

image614_3.jpg一九八五年、留学中のフランスで初めて教壇に立った。大学の日本学科だった。日本語ブームが始まっており、教室から学生が溢れていた。一九八八年、初めて専任教員となった日本の大学で、日本語日本事情とフランス語を担当した。翌年、食い入るように画面を見つめる中国人学生たちに、日本語授業の一環として天安門事件の報道を解説した。昭和から平成へと移行し、バブルが崩壊する。そして一九九三年、学部四年間を過ごした駒場に復帰。私にとって新たな時代が始まる。
外国語教員の大部分は個別の研究室を持っておらず、九号館三階の一室を、(生年は違うが)誕生日が同じ、オディル・デュスュッドさんと使った。グローバル化のギアはまだトップに入っていなかった。机上のマッキントッシュが電話線でインターネットにつながれるのは、少し後のことである。その年の八月、ビル・クリントンの仲介で、イスラエル─パレスチナ間にオスロ合意が成立するなど、明るい兆しもかいま見えた年だった。
私は大学入学時に研究対象を決めていたわけではなく、いわんや教員になること
など考えていなかった。自分の過去をよりよく理解したいという自伝的欲望がいま
の道に導いたのかもしれない。私は前回の東京オリンピック以前にフランスに渡
り、現地校に通い、一時帰国もせず数年間暮らした。その間の、日本との隔絶感を
今日理解するのはむずかしいだろう。帰国後、お決まりの不適応症状を起こした。      2018年8月29日、ジュネーヴの
駒場への入学は、フランスとの再会を意味し、フランス語やフランス研究がれっきと      国際移住機関(IOM)にて
した科目や研究テーマになることを発見した。眠っていた何かが起こされたようであ
る。気がつくと大学院に進学していた。駒場には大学院も少なく、進学先は本郷の仏文だったが。
リベラル・アーツの学府としての駒場、そのフランス分科は、一九六〇年代に興った新たな知を紹介する橋頭堡のような場だった。レヴィ=ストロース、フーコー、ドゥルーズ、デリダなど、いまでも読まれている著者たちは、いずれも支配的な知やシステムに対する懐疑を語っていた。いずれも、フランス語と知性の限界を試すかのような、スリリングな考察を展開していた。同じ時代の空気をフランスで吸った人間がその魅力に抵抗するのはむずかしかった。「フランス現代思想」には、拒否感を示すむきもある。しかし、ある時、塩川徹也先生から「際物だと思っていたデリダは厳密で誠実だった」との言葉をいただき、溜飲が下がる思いがした。いずれにせよ、彼らの「越境する知」が、恰好の中継点を駒場に見いだしたのは偶然ではない。
哲学、政治思想、社会学を通して、フランスという巨象を撫でつづけて二七年。なかでも─過去の自分の立場と重なる─移民とマイノリティに関心をもってきた。二〇一八年は、政府の主張とはうらはらに、将来、日本の「移民元年」になっているかもしれない。人口統計に「移民」が存在せず、移民に背を向けて少子高齢化、人口減少の 衝撃を緩和しようとするわが国の態度は特異である。それを示唆するために、ここ何年かフランスの移民をテーマにした「地域文化論」を開講し、最終年度では、とても多くの学生が履修してくれた。複数の論点が交叉せざるをえないテーマはむずかしかったようだが、非常に高く評価してくれた学生もいた。いずれにせよ、技術やビジネスでのイノベーションを語る一方で、社会的なイノベーションには消極的でよいのかという思いを強くしている。
How goes the world? - It wears, sir, as it grows. 人間が暮らせる地球環境は摩耗している。シェークスピアの言葉が、時空を超えて茫漠たる不安となり、執拗な背景として日常に貼りついている─即位の礼のテレビ画面を囲む、国の慶事にはふさわしからぬ災害情報がそのかたちの一つだ。Citius, altius, fortius(より速く、より高く、より強く)は、一九世紀末にフランス人神父が発案した標語である。それは五輪のみならず、社会全体も動かしてきた。かつてないほど企業や組織が生存をかけてグローバルに戦っている。その背後に広がる、疲弊した環境。このままでは、すべてのエネルギーが「命を守る行動」に費やされかねない。近視眼的な生産や成長を至上命題とするのではなく、長期的で広い視野をもったリベラル・アーツがかつてないほど求められる所以である。
リベラル・アーツの学府としての駒場。しかし私は、そこでリベラル・アーツ三昧の日々ばかりを送っていたわけではなかった。着任早々、他の若手教員とともに駆りだされ、夜遅くまで大学院重点化のための文章やポンチ絵を作った。学科長時代、八号館改修の必要性を直訴して、まるまる一年を棒に振った。専攻長に選出され、周囲の方々のご支援で、なんとか乗り切った。ほろ苦くも懐かしい記憶である。
駒場をあとにするにあたって、優秀かつ温かな同僚に恵まれた幸運に、有能かつ献身的な職員のみなさんに、感謝を申し上げたい。そして何よりも、絶えず刺激を与えてくれた学生のみなさんに! 私が再訪する際には、駒場がつねに、知的好奇心に満ち、高揚したキャンパスであることを祈っている。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)


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