HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報614号(2019年12月 2日)

教養学部報

第614号 外部公開

送る言葉「増田一夫先生 シャイな哲学者に送る」

長谷川まゆ帆

増田先生といえば、デリダの研究者であり、フランス思想と哲学の専門家である。しかしまたそれに勝るとも劣らず、スカーフ問題に端を発して明るみになったライシテをめぐる問題や、シャルリー・エブド襲撃事件によってゆさぶられた人権思想の行方に強い関心を寄せ、たゆまず思索を重ねてきた思想家でもある。
子供の頃に親の仕事の関係でフランスに長く滞在したことのある先生は、フランス語は半ばネイティヴ、今でいう帰国子女であるが、小学生の頃に味わった現地校での体験は、子ども同士のけんかで腕を折られる苦い思い出もあり、決していいことばかりではなかったと聞く。しかし先生は大人になってからもこの海外体験を過去のものとはせず、フランス語の習熟はもとよりフランス哲学や思想について改めて学びなおす道を選ばれた。
東大への着任は一九九〇年代の前半であるが、七〇年代末から八〇年代半ばにかけての六年ほどは、パリ第三大学や第一大学、パリ高等師範学校に学ばれている。それはデリダやフーコー、ドゥルーズ、ラカンやバルトなどフランス思想の綺羅星のような著名人が花盛りの時代でもある。その真っ只中で先生は、堪能な語学力に助けられ、新しい時代の批判精神と自由な空気を吸収し、血肉とされてきた。
地域文化研究分科のフランス研究コースは、こうしたフランス思想の息吹をわがものとして育った個性豊かな先生方に恵まれてきた。そのためかここでは、少なくともわたくしの知る限り、何事も原則的に思考し、年齢もジェンダーも出身も関係なく誰もが等距離で向き合い、情報を共有しコンセンサスを作りながら物事を決めてきた。増田先生はそうした思考と行動のまさに体現者だったが、同時にどこにあっても「いまここで相対的マイノリティは誰か」と問い、他者への想像力を働かせることが自然にできた稀有な人でもあった。
先生は話す言葉も書く文章も丁寧で礼儀正しく、シャイで、フェミニスト。卒論や修論、博論の審査の学生へのコメントに際しても、先生はいつも少し微笑んでいるような印象があり、言葉を丁寧に選んでソフトランディングさせる。優しく穏やかな物言いが安心感を与える。何かに遺憾の意を表明するときも決して声を荒げたり感情的になることがなく、周りの人たちを不必要に傷つけたり、人からエネルギーを奪うことが一切なかった。おっしゃることは明晰で的確である。しかし単なる筋論ではなく、こまやかな配慮に満ち、そのため男女問わず誰からも頼りにされた。
身近にいた学生たちは増田先生のそんな姿をよく見ていた。とくに増田先生の言葉への感性の鋭敏さに感銘を受けた人は少なくない。それは、対象が思想的テクストであれ、行政文書であれ、フランス語であれ、日本語であれ、一貫している。言葉の細部にとどまりながら、言葉と言葉の間に張り巡らされたネットワークに敏感であることを、身をもって学生に教えられてきた。
近年は、フランス社会の混迷を極めた情勢を刻一刻と追いながら、移民問題ではこれを日本の問題としてとらえ直す視点を堅持され、足元の問題として問い続けることの重要性を学生たちに示された。
わたくしは先生が一足先に駒場を後にされてしまうことに寂しさを覚えずにはいられないが、哲学者/思想家としての先生の営みは定年をもって終わるものではないと確信している。またどこかでお会いできることを祈りながら、さらなるご活躍を期待してひとまずは筆をおくことにする。長い間ほんとうにありがとうございました。

(地域文化研究/歴史学)

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