HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報616号(2020年2月 3日)

教養学部報

第616号 外部公開

<本の棚>金子邦彦 著 『普遍生物学 物理に宿る生命、生命の紡ぐ物理』

石原秀至

「普遍生物学」とは何か?小松左京のSF小説『継ぐのは誰か』の一節「この宇宙における生命現象の普遍パターンと、そのバリエーションの可能性を探る生物学」を今こそ目指すとき、と本書は始まる。この挑戦的な問題意識のもと、前著『生命とは何か』でも展開された生命像を拡張し、物理学的な視点から生命を理解しようとしてきた著者らの研究をまとめたものが本書である。様々な実験結果を参照しつつも、現象を抽象化し、力学系理論に基づく数理モデルや計算機内の「進化実験」を道具に、分子レベルから細胞レベル、個体から進化までを貫く原理・原則を明らかにしていく。一方で、得た結論を実際の実験データと絶えず対応させており、そういう点において例えば人工生命(Alife)研究ほど抽象的でもなく、意外と(?)実践的な生物の本でもある。
本書で追い求められている普遍性とは、なにかしらの物質的実体に基づいた生物学=「モノの生物学」ではなく、「コトの生物学」と言えよう。例えば遺伝物質としてDNAが具体的に想定されているわけではない。むしろ、どのような化学的実体を持つかを問わず、成長する単位(細胞)の存在や、ある程度の複雑性をもった分子ネットワーク等々の、最小限と期待される条件設定をおこない、そこから導かれる一般法則を理論的に明らかにするという方針で研究が展開される。この結果、生命システムを律速する必然的性質として、「細胞単位として増殖するという拘束下での揺らぎ」、それに伴う「分子と細胞レベルの整合性」や「ゆらぎと応答の関係」、「進化に伴う次元圧縮」等が見えてくる。その切り口自体、本書の醍醐味ではあるのだが、ここでは「コトの生物学」研究としての本書の位置づけについて述べる。
そもそも、十九世紀には遺伝の実体はわかっておらず、ダーウィンはDNAを知らずして進化論(ないし自然選択説)に行きついた。遺伝の実体は二十世紀中頃に解明され、分子生物学の興隆を引き起こした。これはモノの生物学の成功といえるし、現代生物学の主要な研究モードでもある。一方で、遺伝子やオミクスデータを掘ったところで、やっぱりなんだか「生命とは何か」をわかった気がしない。我々はまだ生命を作れないし、他の惑星にいるかもしれない生物についても、実際には確固としたことを言えないでいる。これは、生命現象の「コト」の側面が未解なことによるのではないか。シュレディンガーが『What is Life?』において(遺伝の実体=モノについて述べたあとに)提起し、そして「ネゲントロピー」によって理解しようとした問題でもある。本書で展開される研究は、コトの生物学に迫る一つの方法論を示し、実践することで、本来的に生命現象が持つ面白さ、不思議さに(実は宇宙の生物を持ち出さなくても)迫ろうとする試みである。それは、遺伝の実体を知らないダーウィン(むしろ数理の素養のあったメンデルか)が感じていたことかもしれない。
では、普遍生物学研究は可能なのだろうか?読み進むうちにJ・B・ロソス著『生命の歴史は繰り返すのか?』を思い出した。この本は、実験進化学─様々な種について、表現型の進化が数ヶ月から数年でおこり、進化の実験と観察ができることが認識されてきている─を用いて、「進化をリピートする実験を行うと、再び同じような生物・生態系が(そして人間が)現れるのか?」という問いに対するS・J・グールド(No !)とS・C・モリス(Yes !)の論争に答えようとする。驚くべきことに、遺伝的近さより生態的な要因が生物の表現型を決定し、進化が繰り返されているようにみえる事例が多い。宇宙生物とまではいかないが、進化実験は生命の必然的、普遍的性質や、その要件を探る有力な方法であり、『普遍生物学』でも大腸菌を用いた進化実験のデータをたびたび参照している。そして理論。S・C・モリスは、著書『進化の運命』で、(例えば蛋白質のアミノ酸配列の)「超空間」における「アトラクター」という形で(つまり力学系の言葉で!)進化の必然性を理論化できるのではないかと結ぶが、『普遍生物学』がまさにその方向性かもしれない。普遍生物学は可能である。

(相関基礎科学/物理)

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