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最終更新日:2024.03.26

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【研究成果】細胞運命の不平等さを定量化する ―― 細胞系譜情報を利用した統計解析手法を構築 ――

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発表者

山内 竣平(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 博士課程(研究当時))
野添 嵩(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 助教)
大倉 玲子(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 特任研究員)
若本 祐一(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 教授/東京大学 生物普遍性連携研究機構 教授)


発表のポイント

  • 細胞の系譜情報を利用して、任意の細胞形質に対する選択強度・適応度を評価できる新たな統計解析手法を構築した。
  • 従来の集団遺伝学の数理フレームワークを拡張し、自然選択がかかる単位を個々の細胞ではなく細胞の「歴史」と捉えることで、細胞増殖や分化の特定モデル に依存しない一般的な解析手法を確立した。
  • 1細胞イメージング技術やDNAバーコード技術により、細菌やがん細胞の増殖、胚発生、幹細胞分化などで細胞系譜情報が得られるようになりつつある。この解析手法を細胞系譜情報に適用することで、細胞の増殖能や運命決定にとって特に重要な形質を明らかにできる可能性がある。

発表概要

 東京大学大学院総合文化研究科の山内竣平大学院生(研究当時)、野添嵩助教、大倉玲子特任研究員、若本祐一教授らの研究チームは、細胞形質の揺らぎ・ばらつきにかかる選択強度や適応度地形 (注1)を定量的に評価できる、細胞系譜 (注2)を利用した新たな統計解析手法を構築しました。

 この手法を用いることで、1細胞レベルで普遍的に観察される遺伝子発現量や成長能といった細胞形質のばらつきに対し、そこにかかる選択の強さや、形質の状態の違いに伴う適応度差を定量することが可能になりました。さらにこの解析手法を用いることで、細胞集団内の形質のばらつきが集団増殖率にどの程度寄与しているかという情報も得ることができます。実際にこの解析手法を実験データに適用することで、細菌やがん細胞において1細胞レベルの成長のばらつきが集団増殖率を増加させていることを明らかにしました。この解析手法は、様々な生命現象において重要と考えられている細胞形質のばらつき・ゆらぎの役割の解明に貢献すると期待できます。

 本研究成果は、2022年12月6日(英国時間)に科学誌「eLife」のオンライン版に掲載されました。


発表内容

 細胞の遺伝子発現量や成長能といった様々な形質は、1細胞レベルでは大きくばらついていることが知られています。このような細胞形質の揺らぎ・ばらつきは、たとえ同じ遺伝情報(遺伝子型)を持つ細胞を同じ環境条件に置いたとしても見られ、細菌やがん細胞の集団全体の増殖能や薬剤耐性、幹細胞の分化などの現象で重要な役割を果たしていると考えられています。
 重要なこととして、このような細胞形質のばらつきの中には、個々の細胞の適応度と相関し、細胞集団内で強く「選択」を受けるものが存在します。一般的に、強い選択を受ける形質は、細胞の運命決定や集団全体の増殖・適応にとって重要な役割を持つ可能性が高いと考えられます。しかし、長期的に安定に子孫細胞に引き継がれる遺伝子型と異なり、時事刻々と状態が変動しうる細胞の形質に対し、そこにかかる選択の強さや、状態の違いに伴う適応度差などを定量的に評価する手法はこれまで確立されていませんでした。

 この問題に対し本研究グループは、近年の1細胞イメージング技術 (注3)やDNAバーコード技術 (注4)などの進展に伴い大規模に取得できるようになりつつある1細胞レベルの系譜情報(細胞系統樹) (図1)を利用して、測定可能な任意の細胞形質に対し、細胞増殖や分化の特定モデルに一切依存しない形でその選択強度や適応度地形を与える統計解析手法を、本研究グループが過去に構築した手法 (Nozoe et al. PLoS Genet 2017) を発展させることで確立しました。

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図1.細胞系譜の例。ここでは大腸菌の顕微鏡観察によって得られた細胞系譜(系統樹)の例を示している。
A. 大腸菌が増殖する様子を示した顕微鏡画像。スケールバーは5µm。
B. 顕微鏡観察から得られた細胞系譜の例。Aの画像の大腸菌の増殖過程に対応している。2細胞から増殖が開始し、最終的にはこの画像内では、360分の間に22細胞に増えている。σは異なる細胞系列を表し、D(σ)は各系列上での分裂回数を表す。Pcl (σ)は時間順方向に見たときに各系列が選ばれる確率、Prs (σ)は時間逆方向に見たときに各系列が選ばれる確率を表している。これら2つの確率を用いて適応度地形や選択強度を定量できる。

 この手法では「個体」を基本単位とする集団遺伝学の数理フレームワークを拡張し、選択のかかる単位を細胞の「歴史」(系列)と捉え直すことで、集団内の全体的な選択強度や、特定の形質の状態に応じて変化する適応度地形を定量することを可能にしています。
 具体的には、各細胞系列に対し、先祖の立場に立って歴史を過去から未来に向かって見たときに自然に定義される時間順方向の確率分布(Chronological probability distribution)と、子孫の立場に立って歴史を未来から過去に向かって見たときに自然に定義される時間逆方向の確率分布(retrospective probability distribution)という2つの確率分布を考えます。これらの確率分布を細胞系譜情報から評価することで、この2つの確率分布の差を利用して選択強度や適応度地形を評価できることを示しました。

 さらに本研究グループは、集団内に成長能のばらつきがあることで集団増殖率がどの程度増加しているかが、この解析手法により得られる選択強度という量で評価できることを明らかにしました。実際にこの解析手法を細菌からがん細胞に至る様々な細胞種の細胞系譜データに適用し、各集団内の選択強度を定量した結果、 集団内で生じる細胞の成長能の揺らぎ・ばらつきにより、各細胞種の集団増殖率が5~10%程度増加していることが明らかになりました。
 また、この解析手法を大腸菌の成長制御に関わる主要な転写因子のひとつであるRpoSの解析に適用したところ、環境条件によっては、RpoS発現量のばらつきが適応度差と強く相関する場合とあまり相関しない場合があることが明らかになりました。この結果は、重要な転写因子であっても、その発現量のばらつきが集団にとって意味を持つ場合と持たない場合があることを示します。

 この新たな細胞系譜の統計解析手法は、特定の成長や分化のモデルなどに依存しないため、様々な生命現象における細胞系譜データに適用できます。この手法を活用することで、細菌やがんの薬剤耐性、胚発生、幹細胞分化などにおける細胞形質の揺らぎ・ばらつきの役割を明らかにできる可能性があります。

 本研究は、JST CREST「ライブセルオミクスと細胞系譜解析によるパーシスタンスの理解と制御(課題番号:JPMJCR1927)」、JST ERATO「深津共生進化機構プロジェクト(課題番号:JPMJER1902)」、科研費「多様な選択圧下での大腸菌進化実験による揺らぎ-応答関係の定量解析(課題番号:JP17H06389)」、「細胞複製能の階層横断的理解(課題番号:JP19H03216)」、「非定常環境下の細胞集団動態と世代時間ゆらぎの関係(課題番号:JP21K20672)」 の支援により実施されました。


論文情報

雑誌:「eLife」(オンライン版:12月6日)
論文タイトル:A unified framework for measuring selection on cellular lineages and traits
著者:Shunpei Yamauchi, Takashi Nozoe, Reiko Okura, Edo Kussell, Yuichi Wakamoto*
DOI番号:10.7554/eLife.72299


用語説明

(注1)適応度地形
進化生物学において「適応度地形」とは、ある形質を持つ生物個体が将来集団においてどの程度の個体数の子孫を残せるかという能力(適応度)を、形質を表す空間上にプロットし可視化したもの。自然選択は集団を適応度の高い状態へ導くので、もし適応度地形が得られれば集団内の形質の分布がどの方向へ変化するかなどを議論することが可能になる。しかし多くの場合、計測データから実際に適応度地形を構成することは難しく、進化過程を説明するための比喩的・補助的な思考ツールとして用いられる。本研究で構築した手法では、実験で得られる細胞系譜情報から、どのような形質を持つ細胞系列が集団中で増殖しやすいかを表す「細胞系列に対する適応度地形」を実際に構成することができる。

(注2)細胞系譜
細胞が成長・分裂により増殖していく過程を家系図のように系統樹として表したもの。

(注3)1細胞イメージング技術
細胞集団中の一つ一つの細胞の様子を顕微鏡を用いて観察する技術。特に電動制御された顕微鏡を利用して多数の1細胞の状態変化を連続観察することで細胞系譜情報を取得することができる。

(注4)DNAバーコード技術
細胞のゲノムに短いDNA配列を挿入し、その配列を後からシーケンスすることで、異なる細胞を識別する技術。異なるDNAバーコードを持つ細胞を混ぜた集団を増殖させ各バーコードの存在頻度を定量すれば、それぞれのバーコードを持つ細胞の適応度を推定できる。また、細胞分裂ごとにDNAバーコードに変異が入る仕組みを導入することで、増殖後の細胞集団のDNAシーケンス情報から細胞系譜情報を推定する技術も開発されている。


―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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