HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報608号(2019年4月 1日)

教養学部報

第608号 外部公開

性的暴力と同質性の無自覚な前提

清水晶子

二〇一六年、大学院生を含む複数の東大生による集団強制わいせつ事件が明らかになり、うち三人が起訴されて有罪判決を受けた。昨年の秋には別の東大生が強制性交等罪で逮捕・起訴されたことが判明した。
東京大学の入学者の女子比率はもう十年以上も二割前後で停滞しており、これがハーバードやオクスブリッジなど英語圏の諸大学と比べて圧倒的に低い数字であることはよく知られている。もちろん、東京大学は性別で入試の結果に差をつけてはいないし、男子学生や教員が女子学生の入学を妨害しているわけでもない。それでも、私たちが圧倒的に偏ったジェンダー比率の只中で生活していることは間違いないし、そこには確かに歪みがある。
とはいえ、教室をざっと見渡して八割、下手をすればそれ以上が男性というこの光景に異様さを感じている構成員は、実はそれほど多くないのではなかろうか。そもそも東大とはそういうところと思っていた人もいるだろうし、はじめはその光景に驚愕した人もじきにそういう日常に慣れてしまう。
集団強制わいせつ事件が明らかになったのと同じ二〇一六年の夏、東大新聞が東大生を対象に行った興味深いアンケートが公表された。インターネット上のアンケートなので不正確なところもあるだろうが、それでも回答者一三五人のうち「東大のジェンダー問題は深刻だと思うか」という問いに男女共四割以上が「いいえ」と答えていたことは、注目に値する。
上述したように、東京大学の女子学生比率は二割ほどであり、東大の女性教員比率も教授で見れば一割にも満たない。さらに同じアンケートで回答者の八割は「他大女子限定(東大女子は加入できない)サークル」の存在を問題視している。女性構成員比率も、東大女子の加入を認めないサークルの存在も、ジェンダー平等が東大にとっての大きな課題であることを示すものであり、どちらも海外からの研究者や留学生にはしばしば東大に関するショッキングな情報として受け止められる。東大から一歩離れて眺めれば、そこに「問題がある」のは明らかなのだ。それでも、四割近くの回答者はそれを「東大のジェンダー問題」と考えることができなかった。
問題があることがわからないほどに問題が日常化しているのが、「東大のジェンダー問題」だ。
人員構成の大きな偏りが日常化しているということは、つまり、経験の偏りが日常化しているということであり、その偏りからのズレは日常生活に入りこみにくい、入りこんでいてもそれに気がつきにくい、ということでもある。ある集団を構成する大多数が類似した経験にもとづく類似した感じ方を育んでいるとき、その「大多数」の人々にとって、自分たちと異なる経験や感じ方や必要をもつ人々がいることを思い出すのは、それほど容易ではない。
たとえば講義中に教員が「君たちも大学生になれば彼女のひとりも欲しいだろう」などと冗談を飛ばすことは少し前までは珍しいことではなかった。あるいはたとえば、「研究室に女子がいなくて華がない」などの発言が未だに潤滑油的な冗談として機能するキャンパスで、「研究室が男性ばかりで」という女子学生に対して「モテモテだね(笑)」ではなく「困ることない?大丈夫?」と反応できる人が、どれだけいるだろうか。あるいは、クラスやゼミで合宿を計画する時に、月経の予定を確かめて準備をする必要がある人や、他人と同室で着替えたりトイレやお風呂が共有だったりする可能性を考えて参加を断念する人がいることが、どれだけ意識されているだろうか。
もちろん、そのような同質性の無自覚な前提と冒頭で述べたような性的暴力との間には、距離がある。けれども、同質性の前提は、たとえば新歓合宿で女子学生の容姿評価を通じて盛り上がり親睦を深めることが新入生に期待される空気を可能にする一つの要素となるだろうし(そんな悪習はとうの昔に消え去っているはずだと思われるかもしれないが、そうではない)、そのような空気は女性に関する愚劣な「下ネタ」を駒場祭で披露してそれをあたかも面白いものであるかのようにSNSで拡散し炎上させて悦にいる攻撃的な愚かしさと無関係ではあるまい。そしてその攻撃的な愚かしさは、実際に、「愚かしい」では済まない他者への性的暴力を引き起こしたのではなかったか。
東大の人員構成の偏りはすぐには修正されないだろうし、東大構成員の努力だけで修正しうるものでもない。けれども私たちは、この大学の人員構成の偏りがはぐくむ同質性の無自覚な前提に自覚を促すことはできる。この大学の「大多数」の経験や感じ方や必要と異なる経験や感じ方や必要を意識し、後者を前者同様に尊重するための制度整備や実践に取り組むことはできる。「東大の深刻なジェンダー問題」の存在を認め、その解消に向けて取り組むことは、できるはずなのだ。

(超域文化科学/英語)

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