真船 文隆

学部長からのメッセージ

教養学部後期課程では、諸学科を象徴的に表す言葉として「越境する知性」を用いています。これは、後期課程で教養学部に進学してくる学生の皆さんには、是非「越境してほしい」という願いがあるからです。それでは、何が境界で、それを越えるということは何を意味するのか? 私なりに解釈を加えてみたいと思います。

私は、2つの意味で「越境すること」があると思います。「小さすぎて見えない、あるいは遠すぎて見えないものを鮮明に見たい」、「速すぎて観測できない現象を正確に捕まえたい」、あるいは逆に「遅すぎて変化が計測できない現象を観測したい」というのは、人間の知的欲求として自然なことでしょう。私たちが「容易に観測できること」の側にいるとすれば、「〇〇すぎて〇〇できないこと」は向こう側にあって、その間にはある種の境界の存在を想定できます。学術は、不可能を可能にすることで、この境界のフロントラインを押し拡げ、観測できる領域を拡大して、説明できない現象を説明できるようにしてきたと言えます。その意味では、皆さんには是非フロントラインに立って積極的に越境してほしいと思います。

1つ目の越境を縦方向の越境とすれば、もう一つ横方向の越境があるでしょう。それはある学術分野から、別の学術分野への越境です。もともと学術分野の間に境界が設定されているわけではありません。実際に、近いと考えられる学術分野の間、例えば、物理学と化学の間では、先人たちの越境により、化学物理 (chemical physics)あるいは物理化学(physical chemistry)という分野が確立していますので、もはや境界はありません。一方で、例えば物理学と社会学はどうでしょうか?もちろん、これまでにも果敢に越境を試みた先人たちはいるでしょうが、まだまだ未開拓の分野といってもよいでしょう。大事なのは、まず自分の学術分野と思えるものをしっかりと持つこと、そしてそれを軸足として、別の学術分野に挑戦することだと思います。「アイデアは、既存の要素の新しい組み合わせ(J. W. ヤング)」と言われています。どう組み合わせるかが重要です。

確かに「越境する知性は重要だ」と納得したとして、ではなぜ教養学部後期課程が、とりわけ「越境する知性」なのかと思うかもしれません。端的に言えば、越境しやすい環境が整えられているということになります。このパンフレットに紹介されているとおり、教養学部後期課程には、文系・理系・文理融合にまたがる三つの学科があり、その下にいくつもの分科やコースが設置されています。まず、これらの教育研究単位、それ自体が知性の「越境」の産物であるといってもよいでしょう。さらに、それらの分科やコースは、学生の皆さんが越境を試みるための軸足となります。是非みなさんには、知性の越境を楽しんでほしいと思います。

総合文化研究科・教養学部長
真船 文隆