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最終更新日:2018.07.09

教養学部報

第530号 外部公開

哲学への情熱――門脇俊介さんの遺志

村田純一

B-2-2.jpg本研究科教授(超域文化科学専攻、哲学・科学史部会)の門脇俊介さんが二月二七日早朝亡くなられた。享年五五歳。三年余り前に脳腫瘍が見つかり手術し、長い闘病生活を続けられた末のことだった。

門脇さんは、本学文学研究科の哲学専攻を修了され、その後、山形大学で教べんをとられたのち一九九〇年に本学部に移られた。本学部に赴任されたのちは、 哲学研究室に属されて、駒場の三層構造すべてにわたり哲学関連の教育と研究、そしてさらに組織運営に多大な功績を残された。

同時に門脇さんの活動は、つねに大学の枠を越えて広がるものだった。実際、わたしが門脇さんの活動ぶりを見ることが多かったのも、大学を越えた学会活動の場だったり、また、海外の研究者との交流の場だったりした。

今から約二〇年前、日本でも海外の研究者と定期的な交流の場をもつことが哲学研究者の間で始まりだしたころ、門脇さんを含めたわたしたち現象学を中心と する仲間たちは、日米現象学会を立ち上げ、アメリカのシアトル、ピッツバーグなどの各地を訪れたり、また、日本でも駒場、仙台などで会議を開いたりした。 そうした会議を開催しようとすると、準備の過程でさまざまな面倒な仕事が発生するが、門脇さんは得意のパソコンの技術を駆使してきわめて能率的に事務処理 を遂行された。また、会議の場では、これも得意の英語(と時々ドイツ語)を自由に操り、発表をこなし、侃々諤々の議論を海外の哲学者と、とても楽しそう に、そしてごく自然に行われていた。

そうした活動によって獲得した人脈や経験を生かして、門脇さんは、二一世紀COE応募のためにUTCP(共生のための国際哲学交流センター)の構想を練り上げ、採択された後は、文系ではそれまで経験した ことのないビッグプロジェクトを成功させるために、事務局長として、リーダーの小林康夫さんとともに文字通り奮闘された。これら門脇さんの活動が単なる業 績づくりのレベルにとどまるものではなく、同時に深い人間的交流を実現させるものだったことは、門脇さんの死去の報に接した海外の友人たちから送られてき た多数のメールが示している。

さて、門脇さんはこうした忙しい活動の過程でも、着々と研究成果を上げ続けられた。その研究業績は多岐にわたるが、その特徴をあえて一言でいえば、「世 界内存在」する人間のあり方を可能な限り明晰な言語によって表現しようとする努力によって貫かれていたということができる。その努力を実りあるものとする ために、門脇さんは一貫して現象学の観点を重視し、とくにハイデガーのテキストをできるだけ明確に理解可能なものにすることに努力を傾注された。同時にそ の過程で、現代の分析哲学のさまざまな成果を貪欲にとりいれようとされた。今でこそドイツ・フランス系を中心とする現象学と英米系を中心とする分析哲学と の間の交流は珍しくなくなってきたが、門脇さんが分析哲学を背景とした議論の中にハイデガーを据えようとされた最初のころは大変新鮮な試みとして日本の哲 学者たちに受け取られた。

ただし門脇さんの試みは決して新奇をてらうようなものではなく、むしろ哲学の最も古典的な問題への解答を得ようとする努力からごく自然に生じてきたもの だった。人間のあり方を理解しようとする場合、それが自然の因果連関の中で生じる出来事としての面をもつことを無視できないが、他方では、そうした自然の 連関には還元できない面、たとえば、倫理問題が生じる面をもつこともたしかである。そのため、どちらの面を重視するかによって、自然主義と反自然主義の対 立が生まれ、この対立はソクラテス・プラトン以来、現代に至るまで形態を変えながら繰り返されてきた。門脇さんはこの哲学の根本問題をできるだけ広い視野 から現代の問題として取り上げ解答を探ることを試み続けたのである。その熱意と努力は驚くべきものであり、門脇さんは闘病生活の中でも三冊の本を書き上げ られた。門脇さんの残された仕事は、あの活動的な姿とともに、現代において哲学を志す者にとっての道標となり続けることだろう。

(相関基礎科学系/哲学・科学史)

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