HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報542号(2011年11月 2日)

教養学部報

第542号 外部公開

秘密の小部屋──「トポフィリ──夢想の空間」展をめぐって

田中純

542-B-2-1-01.jpg
会場写真。展示作品は、左から、
高田安規子・政子《Ladder》(2007年)、
内林武史《結晶製造器》(2002年)、
《軌道終生》(2002年)、《幾つもの行き先》(2005年)。
撮影:星野太。
通学のたびに必ず眼にしているであろう一号館の時計台。学生の皆さんはあの塔に隠された小部屋の存 在をご存じだろうか。時計台の内部にある螺旋階段を昇った先の、ちょうど時計の裏側にあたる六階に、見晴らしの良いその部屋はある。螺旋階段の入口は通常 は閉ざされており、年に一度の一般公開や特別な許可がない限り、時計台内部に立ち入ることはできない。

この秘密の空間を会場にして、本年七月二〇日から三〇日まで、「トポフィリ──夢想の空間」と題する展覧会が開催された。制作にあたったのは総合文化研 究科・超域文化科学専攻(表象文化論コース)の大学院生十名(ちなみに全員女性の「なでしこ」たち)、筆者のゼミ「表象文化論実験実習」の参加者たちであ る。この授業では昨年から、スイス人キュレイター、ハラルト・ゼーマンによる展覧会の研究を通じて、彼が作り上げたような「思想史としての展覧会」を自分 たちで実践することを計画していた。その実現がトポフィリ展だったのである。

「トポフィリ」という謎めいた名は「場所への愛」を意味する。この言葉はフランスの哲学者ガストン・バシュラールによって書かれた『空間の詩学』からとられている。トポフィリ展は空間をめぐるこの哲学者の思索を展示空間として具象化しようと試みたものだった。

学部から時計台内部空間の借用をお認めいただいたのち、展覧会の企画・制作はすべて、博士課程の大学院生・河田亜也子さんをリーダーとする学生主体で進 められた。駒場博物館のご好意により、大変雰囲気のある古くて大きな標本棚をお借りでき、それを小部屋に設置することが決まった。それぞれの抽斗には、制 作グループ一人一人の「場所への愛」を象徴するようなオブジェが作られてしまい込まれた。螺旋階段の壁には『空間の詩学』のテクストが書き出され、小部屋 へと向かう上昇の運動を演出していた。踊り場のほか、人目につきにくい隅々にまで、小さな制作物が置かれ、音響による仕掛けが施された。

542-B-2-1-02.jpg
時計台内部の螺旋階段。
撮影:星野太
この展覧会の趣旨に賛同してくださった造形作家の方々からは作品の提供を受けた。内林武史、びん博士(庄司太一)、高田安規子・政子、谷本光隆の諸氏で ある。びん博士提供の小柄なガラス瓶が六階の窓際に二本並び、展覧会期間中、正門を通り抜けるわれわれを見下ろしていた。内林氏の作品《軌道終生》の、繰 り返し同じ軌道を転がり続ける球体は、ゴロゴロという懐かしいような響きを規則的に立てて、来場者をまるで催眠術にかけたかのように、物思いに誘ってい た。

この展覧会は、時計台という空間とこうした作品やオブジェとの相互作用を通じて、空間経験をめぐる「夢想」への誘いを意図したものだったと言ってよい。 抽斗のひとつに隠されたノートには、来場者が色鉛筆で描いたそんな夢想の数々が残されている。狭い会場のため、予約制の人数制限という制約を設けたにもか かわらず、会期十日間(七月二十六日は休館)の間に、入場者は合計五百五十人近くに上った。リピーターも複数いたことが、この空間の魅力を証し立てている ように思う。バシュラールが追究した「幸福な空間」をめぐる思索が、そこで少しでも具体的な空間経験として体感されていたのだとすれば、この展覧会の目論 見は達成されたことになる。

筆者自身にとっては、この展示空間の与える全体的な印象はとても脆く、はかない、繊細なものとして記憶に留まっている。そのつかの間のはかなさこそがむ しろ、幸福に似た何かを感じさせていた。「展覧会」としてはやや型破りな実験ではあったが、実習という授業の成果にとどまらない広がりのある余韻や反響 を、制作した学生にも、また、来場者の方々にも残しえたのではないだろうか。

展覧会終了後には展示の記録も兼ねたカタログが刊行された。こちらにはバシュラール哲学の専門家の金森修教授(本学教育学部)や仏文学者・詩人の松浦寿 輝教授(教養学部)にも『空間の詩学』をめぐるエッセイを寄稿していただいた。このカタログはごく限定された範囲内での配付だったため、その内容をネット 上で公開する可能性を探っている。

このカタログに収められた「時計台という場所の記憶」をめぐるテクストには、戦時中に止まっていた時計台の時計が再び動き出したことを伝える、一九五四 年の「教養学部報」第三十一号の記事が引用されている。そこには、夜、時計台を何の気なしに見上げると、大きな月が出たような錯覚を起こす、とあった。 「まして月のある夜には、二つ月が出たような気さえすることがあります。」

駒場の虚空に浮かぶ、もうひとつの「月」──そんなルナティックな場所で十日間だけ実現した展覧会は、それ自体、すでに幻だったかのようである。このはかなくも充実した催しにご協力いただいた関係各位に、この場をお借りして深く謝意を表したい。

(超域文化科学専攻/ドイツ語)

第542号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報