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最終更新日:2016.02.15

教養学部報

第547号 外部公開

英語の発音――「理屈」から入る言語学習に向けて

伊藤たかね

英語がいくつの母音を使い分けているか、ご存知だろうか。方言によっても異なるが、およそ十四から十五の母音を用いている。これに対して、日本語(東京方言)は基本的に五母音しか用いない。日本語を母語とする人にとって、英語の発音が難しいのは当然である。子音の方は、用いる数がそれほど多いわけではないが、[f]、[v]や[θ]、[ð]の発音など、日本語では使わない音もあり、やはり困難がある。

この困難を克服するためには、まず英語の発音について基礎的な知識の概略を身につけることが重要だと考え、英語部会では英語を履修する一年生全員に英語の発音と発音記号を解説したクリアファイルを配布し、簡単な解説映像の一部を授業で見せている。さらに、この映像全編(http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/eigo/hatsuon.html)と、ほぼ同内容で聞きたい音を繰り返し聞くことのできる練習編(http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/eigo/hatsuon/practice.html)を英語部会ホームページで公開している。また、クリアファイルは東大生協駒場購買部で販売も行っている。

発音を学ぶことが重要なのはわかるとしても、 [æ]だの[ə]だの、英語では使わない文字を用いた発音記号を、なぜ覚えなければならないのだろう。一つの大きな理由は、現代英語では、綴りと発音の関係が不規則だということである。ghotiはfishと同じ発音ができるはずだとバーナード・ショーが言ったというのは有名な話。これは、もちろん、ghが[f]と発音できるのは語末等に限られるといったルールをわざと無視した笑い話だが、しかし、foodとhoodでは母音が異なるし、readは同じ綴りでも、原形と過去形で発音が異なる。つまり、英語の発音は、綴り字を手がかりに覚えることができない。しかも、英語で用いるアルファベットには、いわゆる母音字は五つしかないが、英語は十四もの母音を使い分けるのである。どうしても特別な記号が必要になる。

発音記号を学ぶもう一つの利点は、発音記号が(わかりやすさを優先して若干の変更がなされてはいるものの)基本的に国際的に定められた国際音標文字(IPA)に従っていることである。これを一度覚えれば、他の言語を学習する際に覚え直す手間は最小限ですむ。操れる外国語が英語だけでは不十分な国際化の時代、発音記号のもつ力は大きい。

英語を中高六年間も学んだのに、発音記号なんてちゃんと習わなかった、だから重要ではないに違いない、と考えるだろうか。昨今、文法とともに発音記号も中等教育から締め出しをくっているとすれば、英語を教える身としては不満を超えて怒りを感じる。複雑な理屈を教えると英語嫌いが増えるという論が一部にあると聞くが、情報を流すと混乱を招くという理由で、入手できるわずかな情報すら公開しないというやり方同様の、情報の受け手を全く信頼しない姿勢が背後にあるとしか思えない。

あるいは、母語話者はそんな理屈ぬきで言語を獲得するのだから、理屈は不要だと思うだろうか。しかし、日本の学生は、幼時から大量の英語をシャワーのように浴びているわけではない。母語話者と同じプロセスで英語を獲得できる環境ではないのである。このような環境では、なるべく多くのデータに接すること(発音で言えば、母語話者の発音を多く聞くこと)が大事だが、理屈を知った上でデータに向き合えば、学習の速度が格段に上がる。外国語学習に「王道」はない、と良くいわれるが、理屈(すなわち知識の獲得)は少なくとも「早道」を提供すると、私は信じている。

大きな枠組みでいうと、こうした理屈から入る言語学習の助けにしたいと考えて、「英語の発音と発音記号」のクリアファイルと解説映像を作成したのだが、もう少し細かいレベルでは、「へぇ、そうなんだ」と思ってもらえそうな情報をなるべく盛り込んだつもりである。Japaneseという単語は、Japanéseと最後の音節が強く発音されると習うはずである。しかし、Jápanese hístoryではアクセントは前に移ることが多い。どうしてそんなことが起こるのか。[l]と[r]の区別は日本語母語話者にとって最難関の一つだが、実は生後六ヶ月くらいまでの赤ちゃん時代は、私たちもこれを難なく区別していた。(わ、もったいない。どうしてその能力を失ったんだろう。)英語は母音が多くて日本語母語話者には難しいが、一方母音の長短の区別(「おばさん」と「おばあさん」)は、多くの日本語学習者にとってむずかしい。同じ母音の長短を区別する言語は多くないからである。[s]と[ts]の区別(raceとratesの区別)を難しいと思う日本語母語話者はいないだろうが、同じペアが有声になっただけで、[z]と[dz]の区別は難しくなる(carsとcardsの区別)。日本語(の多くの方言)で、スとツは区別するが、ズとヅは区別しないからだ。

理屈が大事という方針に同意していただくのでも、あるいは細かい知識に「へぇ」と思っていただくのでも、きっかけは何であれ、英語の発音についての知識を得ることに興味をもっていただければ嬉しく思う。

(言語情報科学専攻/英語)

 

 

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