HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報549号(2012年7月 4日)

教養学部報

第549号 外部公開

自己流「韓国朝鮮文化論」 「丸かじり」の醍醐味

三ツ井崇

「イザカヤ」、「タコヤキ」。これらは今の韓国の都市の繁華街などでよくみられる日本語語彙で、韓国での日本文化受容の一断面である。一九九九年に日本の大衆文化開放政策がとられて以来、急速に日本文化受容の流れは広まった。今や日本のビールや日本酒も普通に飲め、日本語の看板もあちこちにある。もっとも、それ以前、法的に禁止されていたからといって、日本文化が韓国でまったく受容されていなかったわけではない。翻訳、翻案、非合法的流通(いわゆる海賊版)、人と物の移動などを通して、すでに早くから日本の文化コンテンツは韓国内に広まっていたのである。一九六〇年代に日韓国交正常化交渉が本格化すると、街には和食の店や日本語を教える学校が出来、日本の大衆雑誌が普通に書店に並んだ。日本の小説の翻訳が急増したのもこの頃からである。つまり、現在の日本文化受容の基盤の一つは、この時期に形成されていたことになる。

ところで、韓国には「ツメキリ」、「オヤカタ」などという日本語語彙も残っている。こちらは先述の「イザカヤ」等とは異なり、日本の植民地時代(一九一〇~四五年)に入ってきたものだ。日本語・日本文化が政治的・社会的抑圧を背景に朝鮮人の生活文化にまで及んできたことを意味する。これが日本文化受容のもう一つの歴史的基盤である。解放後、ナショナリズムを土台に日本語・日本文化が排斥・禁止の対象となったのはその反作用である。

さらにややこしいのは、日韓国交正常化以降、外交・経済的関係が深まるにつれ、日本語や技術文化は許容されるが、大衆文化は禁止されるという選択的な受容が行われた。この背景としては、反共軍事独裁政権と民主化を求める大衆との関係、あるいはその後の日本文化開放の試みと日本の思想状況との摩擦、そして韓国大衆の「反日」感情などといった緊張関係もまた念頭に置く必要がある。日本文化の受容/禁止問題は、近代の歴史的文脈、韓国の当時の政権と社会との関係、日韓の外交関係、日本内の思想的状況などが絡まる形で推移してきたのである。

一方、近年、韓国経済の進展と企業の世界進出などと並行して、韓国の大衆文化の世界的進出もまた目ざましい。日本における受容は二〇〇〇年代以降の「韓流」ブームが直接の契機ではあるが、すでにそれ以前にも多くの人がキムチの存在を知り、また韓国の音楽や朝鮮半島の伝統文化に関心を持つ人も存在していた。これもまた日韓・日朝関係を反映したものではあるが、日本での受容に大きな役割を果たしたのが在日韓国朝鮮人であることはあまり知られていない。彼/彼女らは、自身ないしは祖先が植民地時代に日本で暮らすことを選択した(せざるをえなかった)という歴史性を有するが、現代の日本社会での生活において、さまざまな面で葛藤を余儀なくされている。

日本と朝鮮半島の関係の歴史と現在のなかで、葛藤の原因となっている大きな要素がナショナリズムである。「反日」/「嫌韓」思潮の根幹でもあろう。しかし、韓国・朝鮮ナショナリズム=「日本嫌い」とするのは短絡的な判断である。そもそも十九世紀後半に現れた朝鮮のナショナリズムは、その当時、朝鮮が置かれていた中国を軸とする東アジア国際秩序の転換を反映するものであった。その後、日本の政治的侵出を経て、日本からの独立を意味するようになった。

解放後には、冷戦構造下における南北の政治体制の分断が民族の分断(それは抽象的な次元ではなくて、実際に個々の家族が分断されているケースも非常に多い)という葛藤を引き起こすことになった。つまり、現代のナショナリズムは植民地の負の遺産からの解放という問題だけではなく、分断状況の克服という課題も同時に背負っているのだ。それは、韓国と北朝鮮を並行して眺めることで立体的に見えてくるのだが、北朝鮮に対するわれわれの知識は、韓国に対するそれと比べてもずいぶんと断片的で乏しいものである。実際の北朝鮮がどうなのかはもちろんのこと、韓国に対する関心の反面、なぜ北朝鮮の存在が忘却されるのかという問いも重要である。

今秋発足する韓国朝鮮研究コースで私は「韓国朝鮮文化論」を担当する。先に書いたのは自己流の文化論のつもりだが、明らかに一般的なイメージの文化の話からは逸脱しているように思われるかもしれない。ただ、実際には、言語・文化・政治・歴史などの諸問題は切り離されて存在しているのではない。むしろ、それらは広くつながっているのである。古来日本と朝鮮半島の関係は深い。そして、今や朝鮮半島に関する出来事は世界規模のイシューでさえある。さまざまなつながりをぶつ切りにせず、広く深く知ること=「丸かじり」することは、もっとも身近に日本や世界を知ることにつながると信じている。これが韓国・朝鮮研究の醍醐味である。実はまだまだ話のネタは尽きないのだが、あとは授業でのお楽しみ。

(言語情報科学専攻/韓国朝鮮語)

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