HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報549号(2012年7月 4日)

教養学部報

第549号 外部公開

〈時に沿って〉大人と子供と研究者

小林康一

「ママ、ぼく、大人になったら研究者になりたいな。」
「そんなの無理よ。どちらかにしなさい。」

最近、こんなブラックジョークを目にしました。

昨年十一月に広域科学専攻生命環境科学系の助教に着任し、確かに研究者になったと胸を張りたいところですが、果たして大人にはなれたのかどうか。

振り返れば、野球少年だった私の夢は、多くの少年がそうであるように、プロ野球選手になることでした。小学生時代を埼玉県で過ごしましたが、当時は西武ライオンズが黄金期を迎えており、給食の時間に教室の小さなテレビで日本シリーズを見せてもらったのを覚えています。ちなみに、今はAKBといえば四十八人の女の子ですが、当時は(少なくとも埼玉県では)、秋山、清原、バークレオの三人のことでした。

さて、そんな典型的な野球少年も中学校へ進むと、伝記などをきっかけに科学、特に物理学に憧れを抱くようになりました。テレビの特集番組でアインシュタインの世界に魅せられたのも大きく影響したと思います。しかし高校生にもなると、一般向けに分かりやすく作られたイメージと、実際の理論を理解することはまったく違うことに気づかされました。物理学と化学を選択したのですが、物理学は波動あたりで躓き、化学も熱化学などの理論的なところが好きになれなかったのです。その一方で、当時一気に開花を迎えていた分子生物学の世界に強い興味を持ち、それが今の自分へとつながっていきました。

大学生時代も色々躓いたりしましたが、それでもなんとか生物学への興味は失わずに、研究室所属まで漕ぎ着けました。この時、第一希望の研究室は人気が高く、私は争いを避ける形で、講義で好感を得ていた別の研究室へと進みました。今思えば、かなり場当たり的な選択でしたが。さて、その研究室は植物の分子生物学をやっており、この時初めて、私は植物を意識するようになりました。不思議なことに、意識するようになると色々なところが気になるようになって、ますます相手のことが知りたくなるものです。恋する思春期の少年と同じです。

直接扱うのはモデル植物のシロイヌナズナばかりなのですが、今や、道端に生える雑草やコケ、植物ポットに生えた藻ですら愛おしく感じるようになりました。そうして、詳しく知れば知るほど、以前は気にもしなかったこと、当たり前だったことが謎に思えてきました。そこには新しいことが山ほど転がっており、今更ながら、この世界は不思議で満ち溢れていることに気付くのです。なぜこれはこうなのだろう、なぜあれはああなのだろう、なんて、子供のように目を輝かせながら。

結局のところ、研究者になるということは、ある部分において子供であり続ける、ということなのだと思います。そのようなわけで、駒場の坂下門へと続く小道で、子供のように雑草を覗きこんでいる人がいても、どうか温かい目で見てやってください。

(生命環境科学系/生物)

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