HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報550号(2012年10月10日)

教養学部報

第550号 外部公開

身体運動科――これまでの歩みとこれからの10年――
第20回身体運動科学記念シンポジウム報告

佐藤和

550-K-4-1-01.jpg今回で二〇回目を迎えた身体運動科学公開シンポジウムの記念大会が、六月三十日(土)、駒場キャンパス21 KOMCEEレクチャーホールにて開催された。本シンポジウムは、大学院生命環境科学系身体運動科学研究室(スポーツ・身体運動部会)が、身体運動科学に関する研究成果や情報を、学内外の方々へ提供していこうとの目的で一九九三年より行われている。

シンポジウム当日は、運動・スポーツ関連の研究関係者から大学院受験希望者、さらには一般の方まで百五十名以上のご来場をいただき行われた。はじめに、教室主任である八田秀雄教授より、第一回のタイトルが「ヒトの筋を科学する」であったように当時の教室のメイントピックが筋肉であったこと、現在では様々な大学で用いられる「身体運動科学」という言葉そのものを創り出したことなど、本シンポジウムおよび身体運動科学研究室の歴史が紹介された。その後、おおまかに区分すると四つの領域(①筋骨格系②バイオメカニクス系③脳神経系④代謝系)に関して、身体運動科学研究室に所属する十名の教授らがそれぞれの専門領域における「これまでの歩みとこれからの十年」について講演した。以下に、それぞれの内容を簡単に報告したい。

550-K-4-1-02.jpg久保啓太郎准教授は、トレーニングに伴う腱特性変化の部位差(講演では膝蓋腱とアキレス腱に注目)に関する知見を講演した。運動(筋収縮の繰り返し)と温熱刺激が膝蓋腱とアキレス腱の血液循環に及ぼす影響を検討すると、腱の血液循環変化は膝蓋腱がアキレス腱よりも大きい結果となり、このことはトレーニングに伴う腱特性の変化が膝蓋腱で大きいことや腱断裂の発生頻度がアキレス腱で高いことと関連しているのかもしれないと述べた。

福井尚志准教授は、高齢者に多くみられる変形性関節症(以下、OA)について講演した。OAの主な問題点は関節の「痛み」である。しかし、OAの根本的な治療法は確立されていない。福井准教授は、関節を包む「滑膜」に注目し遺伝子レベルから分析を進め、VEGF-Aといわれるタンパク質分解酵素がOA患者の関節組織で過剰に発現していることを明らかにした。今後はVEGF-A活性の抑制が重要な課題であり、新たな治療法の確立を目指したいとの方向性を示した。

石井直方教授は、健康づくりや高齢者の介護予防の観点から重要である筋力増強や筋肥大のための一般的なトレーニングプログラム(高負荷強度トレーニング)に対し、「低負荷強度筋力トレーニング法(①血流制限法②筋発揮張力維持スロー法:スロートレーニング③低負荷強度大容量法)」という新しい方法論を講演した。このトレーニング法は、けが予防の観点からも高齢者や有疾患者を対象とするときに大変有用であるとの感想が参加者からあげられた。

身体運動を考える際、主として「筋」に焦点が当てられていた頃より、<B>深代千之</B>教授はいち早く「腱」にも注目し、超音波を用いて腱の動態を観察する方法を開発してきた。筋腱複合体(東大‐理研モデル)のコンピュータシミュレーション研究は、下腿が棒のように細い選手が素早い動作で優れたパフォーマンスを発揮するという現象を論理的に説明できるという大変興味深いものであった。また、今後は「日本から世界への情報発信」が重要であることを強調した。

小嶋武次講師は、ソフトボールのウィンドミル投法における体幹近位の身体セグメントの減速が身体末端部およびボール速度に及ぼす影響を講演した。ウィンドミル投法でのボールリリース直前に前腕を体側にこすらせる、いわゆる「ブラッシング」はボール速度を増す効果があることが報告された。

工藤和俊准教授は、運動学習に関わる様々な問題点に対しての具体的な実験と科学的方法論について講演した。「やる気の欠如」等、心理的な要因の関与が考えられてきた運動の上達過程で現れる「伸び悩み」は、運動の上達経路からの逸脱ではなく、上達過程における不可避的に出現する出来事であるという大変興味深い講演であった。

中澤公孝教授は、身体運動科学の研究成果が応用される場がスポーツや学校体育、リハビリテーションと多岐にわたることを述べ、ニューロリハビリテーション分野に関する講演を行った。iPS細胞の登場以来、リハビリテーション分野においても再生医療に対する期待は大きい。しかし、再生医療は部分的な神経組織の再生と考えられる。今後の再生医療は、神経回路接続後の機能回復までを考慮に入れた方向性が重要であると強調した。

柳原大准教授は、運動の制御および学習における小脳の役割について講演した。「運動が巧みに制御される」「運動を学習する」ことについて、実験動物のデータを示しながら分子・遺伝子レベルから説明した。また、このような基礎研究の知見を踏まえながら、体育科教育等の応用研究も視野に入れていきたいと述べた。

寺田新准教授は、運動と同等の効果を発揮する薬剤、すなわち「Exercise Mimetics」に関して講演した。「Exercise Mimetics」の研究開発は、製薬会社を中心として活発に行われているが、様々な問題により医療現場等での利用には至っていないという。寺田准教授は、個人の考えと前置きしたうえで、「Exercise Mimetics」だけで運動と同等の効果を期待することは難しいと述べ、実際に身体を動かすことの必要性を語った。

八田秀雄教授は、身体運動における糖や乳酸に関する講演を行った。身体運動に伴う疲労の原因が「乳酸である」という説明は誤りであることについて、運動生理学分野が発展してきた歴史的背景などを交えて説明した。身体運動と疲労やトレーニングによる適応を理解するうえで、糖や乳酸の果たす役割について明らかにしていくことの重要性を強調した。

当日の会場は、準備していた座席数には収まらないほどの参加者であふれ、本シンポジウムへの関心の高さを実感した。最後に、シンポジウムの運営にご協力いただいた関係者の皆様、特に身体運動科学研究室に在籍している大学院生の方々の協力がなければ本シンポジウムの成功がなかったことを追筆したい。

(生命環境科学系/スポーツ・身体運動)

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