HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報551号(2012年11月 7日)

教養学部報

第551号 外部公開

〈時に沿って〉変化とともに歩んで十四年

津田浩司

一九九八年五月、ジャカルタ上空に立ち上る黒煙の映像を見たのは、NHKのニュースでだったと記憶している。市内の華人地区を焼いたその騒乱は、アジア通貨危機による経済混乱や長期独裁政治に対する不満を訴える学生デモが、いつの間にか反華人暴動に発展したものだった。

現在のインドネシアの地には、数世紀も前から中国南岸出身の人々が移り住み、独自のコミュニティを築き上げてきた。しかし二〇世紀初頭にインドネシアがひとつのネーションとして立ち上げられゆく過程で、不幸にも華人は「よそ者」と位置づけられた。さらに一九六〇年代後半に成立したスハルト反共政権下では、「同化」の掛け声のもと華人の存在を不可視化する政策が推進された。一方で、彼らは恒常的に差別され、あるいは「国民経済を牛耳っている」との言説に基づく反華人感情からしばしば暴動の対象になるなど、「華人であること」は社会的にネガティヴな意味で日々再確認され、結果としてその存在は顕在化・実体化され続けてきたのである。

九八年当時駒場で漫然と文化人類学を学んでいた私は、かのニュース映像を見るなり、この複雑な歴史・社会的背景のただ中で「華人」として生きている人々の生に迫りたくなり、大学院に進学した。暴動直後にはスハルト政権が崩壊し、従来公の場で禁じられてきた「華人らしさ」の表出も徐々になされるようになってきた。そうした変化の兆しが見え始めた二〇〇二年から二年間、私はジャワ島のとある小さな町の華人街に住み込んだ。言語や時には風貌も含め多くの面で実質的に現地化しつつも、依然として社会的には「華人」であり続けている人々が、日々の生活の中でいかに「華人であること」や「華人らしさ」を捉え、経験し、また時に主張するのかを微細に調べようとしたのである。その成果は、博士論文を基にした拙著『「華人性」の民族誌』(世界思想社、二〇一一年)をご覧いただきたい。

さて、私がこの研究を志すきっかけとなったあの暴動とその後の体制転換から十四年余りが経った。この間、主体的に「華人らしさ」を打ち出したり、積極的に「華人文化」を紹介するような書籍は格段に増えた。だが、前体制下での長期の文化空白を経た今、一体何を「華人のもの」として表出すべきなのかを巡っては、依然模索が続いているようである。時にそれは、大方の華人自身が戸惑うほど取ってつけたように「中国的」に過ぎることもあれば、反対に現地社会と混交してきた側面を殊更称揚すべく「プラナカン(現地生まれの子)」という概念が強調されることもある。

またそれら表出の背景も、明らかに国内華人全体の地位向上を図るためのものもあれば、単にポップなものとしてエスニック要素が消費されている場合もある。また忘れてはいけないことだが、ひと口に「インドネシア華人」といっても、祖先の出身地や移住年代、現居住地などによりその内実は極めて多様である。社会の大きな変化と共に刻々と変わりゆく文化の語りやその内実を、今後もリアルタイムで見つめ続けて行きたいと思う。

(超域文化科学専攻/文化人類)

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