HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報551号(2012年11月 7日)

教養学部報

第551号 外部公開

〈時に沿って〉駒場への帰還

西崎文子

一九八三年に教養学部教養学科アメリカ科を卒業して以来、二十九年ぶりに駒場に戻ってきました。「かくも長き不在」のはずなのですが、正直のところ、少し留守にしていましたといった感覚です。それは、アメリカ研究を生業としているものとして、この間、駒場キャンパスから完全に離れることはなかったからです。

私が学部生としてアメリカ科に身を置くずっと前から、駒場は日本のアメリカ研究の中心でした。現在のアメリカ太平洋研究センター付属図書室は、当時はアメリカ資料研究センター図書室、とつつましやかに呼ばれていましたが、アメリカ関係の図書やマイクロフィルムを揃え、研究者を引きつける貴重な場所でした。駒場内外のアメリカ研究の大御所をお見かけする楽しみも備わるサロンのような雰囲気もありました。学部時代からなじみが深く、論文が書けないときにはセンターに行ってみようか、と足を運んだことから駒場とは常につながっていた気がするのかもしれません。

もちろん、二十九年ぶりに籍を置いて、時の流れを感じる場面も少なくありません。私がアメリカ研究をはじめたのは、ヴェトナム戦争の終結から間もなく、冷戦が終わるなど誰も想像していない時代でした。いきおい、アメリカの政治や外交(史)、経済に対する関心は社会でも強く、アメリカの豊かさへの感嘆の傍らで、この国を批判的に捉え、相対化し、ときに激しく論難するという雰囲気が強く漂っていました。その中で、地域研究としてのアメリカ研究は、常に「現在」を意識しながらも、それに過度にとらわれず、歴史や文化、文学、地理や政治、経済などの多分野を架橋し、一つの学問として存立させることを目指していたように思います。学際的・総合的なアメリカ像を探求したいという気概が、当時の出版物などから伝わってきます。

そのような状況からすると、二十九年後に戻ってきた駒場キャンパスやアメリカ科には大きな変化が見られます。海外体験のある学生も多く、語学力の向上や適応力の高さなどには隔世の感があります。いつ親に会えるだろうかと悲壮な決意で留学することもなくなり、穏やかな、そして肩肘張らないアメリカ体験が、若い人たちの間で共有されています。海外から来たレクチャラーに対する大学院生・学生の接し方などを見ていても、自然体で指導を仰ぎながら、専門性の高い学習・研究を進める準備ができていると感じさせられます。

昔の自分と重なるようで重ならない若い学生を見ながら、あらためて「共感を持って向き合う地域研究」というテーマに頭をめぐらせています。先述のように、私が勉強をはじめた頃は、アメリカへの批判的視点が非常に強く、私自身もそれを共有していました。だからこそ、理解と共感とを持ってアメリカを研究しなればならない、批判するにしても、共感をもって批判するほうが建設的であり価値があろう、と考えてきたところがあります。アメリカが当時とは大きく異なる姿を見せている今、改めてアメリカへの対し方を模索しながら、私がアメリカ研究に足を踏み入れた駒場で、若い方々と一緒にあれこれ悩んでいくことができればと思っています。

(地域文化研究専攻/歴史)

第551号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報