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最終更新日:2019.04.12

教養学部報

第554号 外部公開

二〇一二年ノーベル物理学賞

久我隆弘

「い、一個光を…」

「え、『もっと』ではなく『一個』ですか? それは難しいですね。でも、フランス高等師範学校のセルジュ・アローシュさんや米国標準・技術研究所のデビッド・J・ワインランドさんならできるはずなので頼んでみましょう。」

そう、この二人は、「個々の量子系を測定、操作する画期的な実験的手法の開発」という理由で二〇一二年のノーベル物理学賞に輝いた人たちだ。

原子や分子、イオンが一個、二個と数えられるのと同様に、量子論では光も光子という形で一個、二個と数えられることになっている。ただ、原子にしろ光子にしろ、通常は「一個」を意識することはない。

なぜなら、気体原子はアボガドロ数(約6×10<sup>23</sup>、一兆の六千億倍)個を単位(一モル)として数える方が楽だし、光の強さもW(ワット)を単位とする方が便利だからだ。ちなみによく講演会で使われる出力1mw程度のレーザーポインターからは、毎秒10<sup>16</sup>(一兆の一万倍)個程度の光子が飛び出している。

このように、原子や光子は無数の粒子の集合として取り扱われてきたため、「一個」を意識することはつい最近まではなかった。

この常識に風穴を開ける端緒となったのは、気体原子のレーザー冷却の成功だ(一九八五年)。室温の気体原子は毎秒百mを越える速さで飛び回っているため、一個を捉まえようとしても困難だ。しかしレーザーを上手に使うと原子の速さをほぼゼロにできるので捉まえやすくなる。近年では一個、二個と気体原子やイオンを捉まえて自由に取り扱うことができるようになった。つまり気体原子やイオンならば、「一個」を準備することが可能だ。

なお、このイオントラップの研究には一九八九年、レーザー冷却の研究には一九九七年にノーベル物理学賞が与えられている。

それに対して光子はどうだろうか。光子は毎秒三十万キロメートルといった桁外れの速さで飛び回り、減速することはない。また、光子は原子などと相互作用して姿を消したり(吸収)、再び別の姿で現れたりする(放出)。このように神出鬼没なので、光子を一個だけ捉まえるのは並大抵のことではない。

アローシュは、合わせ鏡のように二枚の鏡を向き合わせた狭い空間(共振器)を用意して、その中にマイクロ波領域の光子を閉じ込めることに成功した。一九八〇年代のことだ(図a)。

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ただ、使った鏡は洗面所にあるようなものではない。ニオブなどの金属を極低温にすると電気抵抗がゼロ(超伝導状態)になるため、電磁波(光)は金属内部に侵入できず百%反射される。この鏡を向かい合わせると、鏡に垂直に進む光子は鏡間(超伝導共振器)から外には出られなくなる。また、鏡に吸収されることもないので、共振器内にいつまでも留まる。

最大の問題は、どうやって光子を一個だけにするのかといった点だ。アローシュは、共振器を横切るように、鏡に平行に気体原子を一個ずつ通過させることで、共振器内に一個の光子を溜め込むことに成功した。

ワインランドは、イオントラップをさらに改良して小型化し、真空中にイオンを一個だけ捕獲した。ただこのままではトラップ中でイオンは激しく熱運動(振動)する。そこでイオンに高度に制御したレーザー光を照射してその振動を鎮め、トラップポテンシャルの最低振動状態(速さがゼロ)にまでイオンを冷却した。

なおトラップ装置は、最低振動状態の空間的な広がりが光の波長よりも小さくなるように小型化しておく。すると、最低振動状態に捕獲された一個のイオンは、光子を吸収する際、そのエネルギーは受け取るが運動量は受け取らない(正確には運動量をトラップポテンシャルへ逃がす)。つまりイオンを「静止」させたまま、何回も光の吸収、放出を繰り返すことができる。「一個」の光子をいつでも取り出すことができるのだ。

このように、アローシュやワインランドは、一個の原子やイオンと一個の光子とを自由に相互作用させることができる革新的な実験技術を開発してきた。そしてこの技術は今後、さまざまな方面で利用されることと期待されている。

たとえば、光子や原子(イオン)の状態を重ね合わせ状態にし、その時間発展を精密に測定することが可能となる。つまり、量子論の伝説的なパラドックス、シュレーディンガーの猫、「観測で確認するまでは、箱の中の猫は半分生きていて半分死んでいる」を実験的に検証できることになる。

また、一個の光子だけを使って通信を行えば、情報が漏洩することは絶対にない。送信者が一個の光子に情報を載せて送り出すと、もしも途中で盗聴されればその情報は受信者のもとには届かない。つまり受信者のもとに光子が到着すれば、その情報は盗聴されていないことになり、百%の安全性(秘匿性)が保証される。

他にも、原子(イオン)の数を二個、三個と増やして光子と相互作用させる装置は、量子状態を使った論理演算(量子計算機)の基本ブロックとなる(図b)。

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さらに、「静止」したイオンや気体原子を使えば、百億年経っても狂いが一秒以下という超精密な時計を作成できる。この時計で測定すれば、一定普遍と考えられている物理学定数(微細構造定数など)の時間変化の検証など、現代物理学の根幹に関わる問題に、実験的に答えを与えることができるのだ。

以上のような、優れた実験手法の開拓と、その学術的価値の高さ、今後の応用範囲の広さが評価されてのノーベル物理学賞の受賞だ。

最後に一言、若い人に言っておきたい。
アローシュやワインランドの仕事は、半世紀以上も前から誰もが意識し、知っていた内容を実現しただけだ。物理学の常識と言っても良い。ただ、常識として知られていたのは、「共振器を使えば原子と電磁波の相互作用を制御できる」とか、「光の波長以下の領域に原子(イオン)を閉じ込めれば、光の運動量は受け取らない」といった、表面的なことだけだった。

この「常識的な仕事」を、数々の困難を乗り越えて実現させたことはもちろん第一に評価するべきだ。「言うは易し、行うは難し」である。

そして、それにも増して重要なのは、実現する過程の中で、机上では思い描けなかった多くの発見があったという点だ。そこからは、これまで考えたこともなかった新しい可能性が見えてきたのである。

そう、「頭の中では当たり前と思っていることでも、一回は自分で実際に行って確認してみよう」ということを教訓としてもらいたい。

(相関基礎科学系/物理)

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