HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報562号(2014年1月 8日)

教養学部報

第562号 外部公開

森林保全とREDD+ ――ペルーアマゾンの森林で

木村秀雄

562-B-1-1-01.jpg今年度から国際協力機構JICAの依頼で、南米ペルーでREDD+を実施するための現地機関に協力するプログラムに参加している。REDDは森林保護に関する国連のプログラムで「開発途上国における森林減少・森林劣化による排出削減に関する国連協同計画United Nations Collaborative Programme on Reducing Emissions from Deforestation and Forest Degradation in Development Countries」のことで+(プラス)がついているのはその拡大版であることを意味している。

開発関係などの国際的な活動においては、「国連気候変動枠組条約United Nations Framework Convention on Climate Change」がUNFCCC、「気候変動に関する政府間パネルInternational Panel on Climate Change」がIPCCなどと英語の頭文字で表されて、その分野に詳しくない人にはとてもわかりにくい。ごめんなさい。ここでも略号を使わなければならないけれど、正式名がわかるようにします。

REDD+が現在注目されているのは、気候変動に関わる世界的な枠組みがほとんど崩壊してしまったからである。一九九二年にリオデジャネイロで行なわれた「環境と開発に関する国連会議United Nations Conference on Environment and Development」(通称「地球サミットEarth Summit」)」から議論が行なわれ同年決定された「国連気候変動枠組条約」は、大気中の温室効果ガス濃度を安定化させることを目標にしたもので、二〇〇二年に締結された。その第三回「条約締結国会議Conference of the Parties COP3」において京都議定書Kyoto Protocolが採択され、二〇〇八年から二〇一五年までの期間における一九九〇年レヴェルからの温室効果ガス削減目標が定められた。そこでは日本六%、アメリカ合衆国七%、EU八%などと定められている。

562-B-1-1-02.jpgこの京都議定書は暗礁に乗り上げている。最大の温室効果ガス排出国であるアメリカ合衆国は条約に署名はしたものの批准しておらず、中国・インドなどは削減義務を負っていない。日本は署名・批准はしているものの、六%の温室効果ガス削減目標に対して逆に七%以上増加しているのが現状である。そして、京都議定書がカバーする範囲が狭すぎるとして、カナダ・ロシアなどとともに実質的に京都議定書から離脱してしまったのである。

このような中で温室効果ガスの削減に大きな効果がある森林保全のための国際的な枠組みとして注目されているのがREDD+である。まず二〇〇五年のCOP11で「森林減少の防止Avoided Deforestation」が唱えられ、これがREDとなった。その後二〇〇七年のCOP13で森林劣化Forest Degradationが対象に加えられてREDDになり、二〇〇九年のCOP15からREDD+と言われている。+(プラス)がついているのは、REDDが「森林減少からの排出削減」と「森林劣化からの排出削減」だけを目標にしていたのに対し、REDD+は「森林炭素蓄積量の保全」、「持続可能な森林経営」、「森林炭素蓄積量の増大」を目標に加えたからである。

REDD+では、途上国における森林減少などによって減少すると想定される炭素蓄積量とREDD+を行なった場合の炭素蓄積量を比較し、REDD+を行なったことによって保全された蓄積量を当該の途上国の排出権として認めるものである。そしてこの分を国際的な炭素市場で売買できるようにしようとするものである。先進国にとっては、途上国でREDD+を支援しそこで達成された炭素蓄積量を炭素市場で購入することによって、国内で削減できない削減量をカバーできることになる。

また、森林地域における「生物多様性の保全」や「地域住民の生計の維持向上」は森林保全の問題として考えられてきたために、プログラム実施のための資金が十分でなかった。それを世界的な温暖化防止の一部と位置づけることによって、国際的な資金供給を増加させたいとしているのである。このような「地域住民の参加」などを加えた枠組みはREDD++と呼ばれることもある。

問題はいろいろ考えられる。REDD+が温室効果ガスの削減に焦点をしぼると、森林資源の管理が厳格になりすぎ、住民が資源へ自由にアクセスできなくなる可能性がある。また、生物多様性の保全に本当につながるのかについても疑問もある。そして、REDD+が一時的には県・州などに任されるとしても、原則として国レヴェルで行なわれることになっているため、共有地の管理において必ずしもいい施策ではない中央集権化と外部機関の介入が、決していい結果をもたらさず、これまでの失敗を繰り返す可能性すらある。

今回ペルー領アマゾニアに滞在して、REDD+に対していろいろなことを感じた。その一つは、国や州レヴェルでのREDD+に対する関心が、森林保全活動に従事してきた機関や職員には共有されていないことである。森林保全や地域住民の積極的参加という活動が、REDD+となぜ結びつかなければならないのか、彼らには理解できないのである。これに対する答えは、京都議定書が機能不全に陥っている現在、国際的な資金を獲得するためにはREDD+しかないとしか言えない。

もっと大きな問題は、これまで実施された森林の保全に対してREDD+が使えないということである。例えば森林減少の現状があるところでは、REDD+を導入して減少が止まれば、止まったことによって保全された炭素量が、炭素市場を通して利益になるのだが、減少していないところでは炭素量がもともと減少しないのだから、差額による利益を生み出すことができないのだ。

私が滞在したペルー北部のイキトスという都市の周辺では、森林が比較的保たれている。ブラジルやペルーの南部などで森林減少は嫌というほど見てきたから、これは新鮮な経験だった。しかし、これまでの森林保全の努力がREDD+に反映されないとしたら、努力してきた人々にとってREDD+とは何の意味があるのだろう。REDD+を導入するのはか簡単ではない。

まだ何回も現地に出かけなければならない。現地の人々と対話を重ねながら、REDD+についてこれからも考え続けて行きたい。

(超域文化科学専攻/「人間の安全保障」プログラム/スペイン語)
 

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