HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報571号(2015年1月14日)

教養学部報

第571号 外部公開

ノーベル賞蒟蒻問答

岡本拓司

P「あ、先生こんにちは」
Q「こんにちは」
P「今度のノーベル物理学賞は話題になってますね」
Q「そうだね。青色発光ダイオードの発明というやつだね」
P「なかなか実現できなかった青色を発光ダイオードで実現したというのは大変なことだったみたいですが、だいぶ前の研究だったみたいですね」
Q「そうだね。一九九〇年前後のことだから、二十四、五年前の仕事ということかなあ」
P「ノーベル賞って、前年になされた研究に対して与えられるんじゃないんですか」
Q「規約では一応はそうなっているけれど、前年に意義が明らかになったということでもいいんだよ。もっともそれでもこの基準は満たすのが難しくて、物理学賞も一九〇一年の第一回から、一八九五年のエックス線の発見という、ちょっと古い業績でレントゲンに授与せざるを得なかったんだ」
P「それでも二十年以上というのはどうも長すぎるような気がします」
Q「すでに戦前から、「ノーベル賞級」という研究はたくさんあって、授賞対象は、五人いる選考委員の専門の領域から順に出すといったことが行われている。だから順番待ちになってしまう。それでも突然大きな出来事があれば、一、二年のうちに受賞することもある。たとえば一九四九年に湯川秀樹が日本人として初めて受賞したけれど、これは一九四七年に宇宙線中の中間子が発見されたことを受けてのものだった」
P「ああ、素粒子論ですね。こういうのはノーベル賞っぽいんですが、でも今度のはちょっと毛色が違うような……」
Q「どちらかといえば応用研究だからね。でも、賞を作ったノーベル自身は、人類の福祉に貢献した発明や発見に授賞するつもりでいて、実際、灯台の発光方法で受賞した例もあるんだよ。それでも、応用と関連の薄い研究を対象にすることは、賞のできたころから問題とはみなされておらず、それは、純粋研究上の偉大な発見が、人類の福祉に貢献することは間違いないと選考側が考えたからなんだ。むしろ、科学上の意義が大きくは認められないような、単なる発明が授賞対象になることは少なくて、エジソンもライト兄弟も推薦はされているが重要な候補にはならなかった」
P「あ、でも今回は企業で行われた研究も含まれてますね」
Q「これもそれほど珍しいわけではなくて、電子の波動性を示した実験や、トランジスターの発明で、アメリカのベル研究所の研究者が受賞しているし、日本でも田中耕一さんが化学賞を受賞している。製品の開発の過程で行われる研究が、大学などの機関では簡単に実現できない技術に支えられて、応用を離れても大きな意味をもつ成果を生むこともあるんだ」
P「田中さんの場合は、受賞したときに博士でもなかったので話題になりましたね」
Q「科学系のノーベル賞ではとても珍しいね。欧米の企業内研究所では、博士号を取った研究者が雇われて、大学との間を行き来することも珍しくなく、日本でもそういう人もいるのだけれど、日本ではまだまだ、大学卒業すぐか、修士課程を終えたくらいの、専門が狭く固まっていない人に研究を担当させて、企業の方針に馴染んでもらおうとすることが多いね。その後、企業で行った研究で博士号を取得したりする」
P「そうそう、田中さんの時には、日本からは誰も推薦した人がいないなどというのも話題になりました」
Q「何度も候補になるような業績だと、選考委員会もよく調査してある。だから、もしその研究に授賞するのであれば、目立つ候補者以外にこの人にも授賞しなければ不公平になるという人物を突き止めていることが多い。しかしその人は誰からも推薦されておらず、候補にできないという場合があるんだ。それを避けるために、選考委員は、受賞しそうな対象については、あらかじめ、目立たないけれど外せない候補を推薦しておくことがある。一九〇三年にベックレルとピエール・キュリー、マリー・キュリーに授賞するのが決まりかけたとき、この年の賞についてはマリーへの推薦状が一つもなくて、委員会はずいぶん慌てたんだ。田中さんの場合も委員の推薦だったかどうかはまだわからないけれど、まあよく調査はしてあるね」
P「選ぶ方もたいへんですね。マリー・キュリーっていえば、ポーランド人に数えるのかな、フランス人に数えるのかな」
Q「ノーベルは、遺言に選考では国籍を一切考慮しないようにと書いているので、選考側はあまり細かく考えていないんだけど……」
P「しかし、だからこそ国ごとの比較に関する客観的な基準になりえますね」
Q「おう、なかなか賢いね」
P「日本もこれで三人増えたわけですね」
Q「中村修二さんはアメリカ国籍みたいだね。軍からの資金を得るために取得したとか」
P「それもちょっと話題になっていましたね」
Q「そうだね。たとえば日本物理学会には決議三というのがあって、軍からの援助を受けたり関わりを持ったりしないと謳っている。一九六七年に、ベトナム戦争への批判の声が高まる中で、米陸軍の資金提供を受けた研究者がいて問題となって決議されたもので、今も有効なんだ。東京大学も軍事研究を行わないことを何度か確認している」
P「うちの祖父は同じころに自分の学会でも議論があったけれど、どこかに攻められたときにそんなこと言ってられるだろうかという反論が出て、物理学会のような決議には至らなかったといっていました」
Q「うーん。今ならばむしろ積極的に研究でその方面に貢献したい人もいるかもしれないね。それに、中村さんの場合はまだ同盟国の軍の話だからいいけれど、そのうち人民解放軍の資金が欲しいから中国国籍を取りたいというような人も出てきたりして……」
P「またまた、いつも冗談ばっかり。……あれ、先生、目が笑ってませんね」

(相関基礎科学系/哲学・科学史)

 

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