HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報575号(2015年6月 3日)

教養学部報

第575号 外部公開

モダニティの複数性と大大阪 ─展覧会・シンポジウム「會舘の時代─中之島に華開いたモダニズムとその後」後記─

前島志保

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會舘藝術
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大阪朝日會舘模型
つい先日、駒場キャンパスの一部が大阪の或る文化施設に「ジャック」されていたことをご存知だろうか。去る三月初めから四月初めにかけて、この施設に関する諸イベントが、駒場博物館で、十八号館で、学際交流ホールで、生協書籍部で、次々に開催されていたのだ。

この「或る文化施設」とは、一九二六年から六二年まで大阪の中之島に存在していた大阪朝日会館(以下「会館」)を指す。会館は、映画会、音楽会、演劇公演、舞踊公演、美術展覧会などの催しや雑誌『會舘藝術』(戦中・戦後数回改題)の発行を通して、関西のモダニズム運動を牽引する役割を果たした。手塚治虫氏など関西出身文化人の回想録にもしばしば登場するこの総合文化施設は、戦前から戦後にかけて関西の文化的中心とみなされていたにもかかわらず、ながらくその活動の全貌は明らかにされてこなかった。というのも、会館の取り壊しや運営団体の組織替えもあり、資料が散逸もしくは未整理なままになってしまっていたのだ。加えて、会館での文化活動が多岐に渡っていたために全体像を掴むことが非常に困難だったという事情もある。

こうした状況を鑑み、本学総合文化研究科博士課程の学生と卒業生を呼びかけ人として、様々な大学・研究機関に属する若手研究者を中心に、二〇一一年冬「朝日会館・会館芸術研究会」が結成された。研究会の活動は、会館に関する資料の所在と所蔵先を地道に調査することから始まった。二〇一三年度からの二年間はヘルマン・ゴチェフスキ准教授(当時)を研究代表者として科学研究費を受け、『會舘藝術』その他の資料のPDF化と記事データベースの作成を行うとともに、定期的に研究会を開き、会員それぞれの専門分野を活かした発表を重ね、会館の文化活動に対する理解を深めていった。今回研究会が主催した一連の企画は、包括的な会館研究の第一歩となるものであった。

様々なイベントを同時開催する形をとったのは、会館の多彩な活動を多くの方々に知っていただきたかったからだ。まず、三月七日から四月五日にかけて開かれた展覧会では、会館と当時の世相の関連を年表で示したうえで、会館の活動を建築・雑誌・音楽・映画・演劇・文学・美術の七分野に分け、パンフレットや雑誌・映像など当時の貴重な資料を解説パネル付きで多数展示した。三月九日には近代大阪研究の第一人者である橋爪紳也大阪府立大学特別教授を招き、トークイベント「都市と会館」を開催した。これにより、会館について考える際に、大阪という街の時代による変遷や新聞社間の競争、他の類似施設との競合を視野に入れることの重要性が指摘された。

続いて三月十四日・十五日の二日間に渡って、渡辺裕本学教授と朴祥美横浜国立大学准教授をコメンテーターに迎え、本学比較文学比較文化研究室と表象文化論研究室の共催によるシンポジウムを開いた。第一日目「「會舘」という文化装置」では、ヘルマン・ゴチェフスキ本学准教授、山本美紀奈良学園大学准教授、私・前島、本学博士課程の岡野宏氏と高山花子氏による発表を通して会館の活動の各時代の特徴とその意義が示されたのち、会館や『會舘藝術』に集った人々の傾向とそのつながり、言説における「大阪と東京」「日本と西洋」の位置付けの歴史的連続性・非連続性について、活発な意見交換がなされた。二日目は「「會舘」文化の諸相」と題して、長木誠司本学教授、大森雅子本学講師、紙屋牧子早稲田大学演劇博物館招聘研究員、中村仁桜美林大学講師、山上揚平東京藝術大学講師、本学博士課程の茂木謙之介氏の発表により、会館の多彩な活動のうち特に映画・演劇・音楽・文学における特色が示され、続いて、より大きな時代の流れや社会の変動と各分野の活動を絡める形で議論が行われた。長時間にわたるシンポジウムであったにもかかわらず、両日ともフロアから積極的な発言や質問が続いたのが印象的だった。

この他、会館の活動を追体験すべく、音楽評論家の毛利眞人氏、紙屋氏・白井史人氏(本学博士課程)による解説付きで、レコード鑑賞会と映画上映会(映画アーベント)を再現する試みも行った。電蓄の使用やパンフレットのデザインなどできるだけ当時の様子に近づける工夫をしたが、その甲斐あって時代の雰囲気を味わえたことは、新しい「研究成果」であった。また、会期終わり近くには、宣伝映画『朝日は輝く』の現存部分を木下千花首都大学東京准教授の講演、白井氏の研究発表、本会員によるトークとともに上映し、往時の会館の様子を垣間見るとともに、大阪の映画興行における会館の位置付けについて再考する機会も設けた。

こうした一連の企画を通して改めて確認されたのは、「モダニティ/モダニズムの複数性・多様性」ということだった。これまで日本のモダン文化を語る際、その語り口はどうしても東京中心になりがちであった。しかし、戦前急速な都市化を経た「大大阪」の全国的な存在感は、戦後の在り方とは全く異なっていた。ひょっとしたら、会館から新たなモダン文化が全国に発信されていたのかもしれないのだ。しかも、「地方からの発信」とは違った位相で。そして、そうしたモダン文化の在り方は、近年一部の研究者の注目を集めるようになってきたとは言え、大阪の人々を含め、現代ではほとんど知る人はいない。

駒場での一連のイベントは終わってしまったが、会館研究は本格的に始まったばかりである。今年度からは私が研究代表者を務め、大阪での講演会・展覧会を行い、関西の方々からのフィードバックを受けながら、さらに調査・分析を続けていく予定だ。最後になったが、こうした研究は、様々な企業・資料館・図書館・専門家の協力無しには実現できなかった。お世話になった方々があまりにも多いので個々のお名前を出すことは控えるが、ここに深謝する次第である(当研究会の活動および協力者の皆様の詳細については、研究会HP(http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/kaikan/)を参照されたい)。

(超域文化科学専攻/PEAK)

 

 

 

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