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最終更新日:2017.06.23

教養学部報

第578号 外部公開

<時に沿って>捏造記憶

郷原佳以

学部を卒業してからたかだか二十年ほどの、駒場では新米教員にすぎないので、これから二十年後にはどんなふうに心変わりしているかわからないし、そのことがまた楽しみでもあるのだが、少なくともここ数年つくづく思っていることは、あの頃にすべてがあったということである。あの頃というのは学生時代のことで、学生時代というのは研究者になろうとする場合きわめて長く、私の場合、文科Ⅲ類に入学してから十二年間くらいは学生だった。留学していたため継続して通っていたわけではないが、その間ずっと、駒場に籍は置いていた。その後も二年ほどは駒場で研究員をしていた。その時代にすべてがあった、などと言うと、学生生活を謳歌した後に社会へ、世界へ羽ばたいていこうとしている皆さんにはがっかりされてしまうかもしれない。その後に新しいことは何もなかったのか、研究上の新たな発見はなかったのかと。そういうわけではない。それなりに前に進んできたとは思う。けれどもいま、そしてこれから、新たに立て、取り組もうとする問い─フランス文学を専門にしている─の萌芽は、あるいはむしろ、問いの立て方は、あの頃、どこに出口があるのかもまるでわからない日々のなかで、先生方から学び、友人たちの言葉を聞きながら身につけたもののうちに、すでに潜んでいたように思う。というのも、いまでも、ものを考えるときに気がつくと頭のなかに浮かんでいるのは、学部生時代、院生時代、留学生時代に出席していた授業や研究会、あるいは論文指導のワンシーンであり、そこで先生方や研究仲間の放った一言であるのだから。印象深いシーンは何年経っても色褪せることはない、というのは紋切り型で、真実はむしろ、何ということもないシーンが年を経るごとに色鮮やかになってゆく、ではないだろうか。そんなはずはない、と学生の皆さんは言うかもしれない。記憶は薄れてゆくに違いないし、もし色濃くなってゆくのだとすれば、それは事後的に肉付けされた記憶なのだと。しかし、過去というものが純粋な再現を許さない以上、それなくして私たちは前に進めるだろうか。

七年前に前任校への就職が決まったとき、同時に駒場で初修フランス語の授業を担当することになり、引き続き週一回駒場に通った。教室で初々しい一年生・二年生たちと顔を合わせながら、十数年前の文Ⅲ十二組のことを思い出さないことは無理な相談だった。並木道も一号館の教室も、毎週、十数年前の光景と重なった。ただ、思い浮かんでくる光景は、同じシーンでもいつも同じというわけではない。そのたびごとに、少しずつ変わる。

これからは、二重写しが毎日のことになるだろう。そして、今年思い出される光景は、来年には別のものに、二十年後にはまた別のものになっているだろう。アウトプットなどという邪なもののためではなく、たえず通過点に身を置いて、ただ学ぶ時間。ひとは渦中にあるとき、それが宝物であることに気づかない。二度と再び生きることのできないその時間を、皆さんのそばで、繰り返し生き直したい。

(言語情報科学専攻/フランス語)

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