HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報581号(2016年2月 3日)

教養学部報

第581号 外部公開

<駒場をあとに> ビバ リベラル・アーツ

山本 泰

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銀杏並木でユータスくんと
(波多野彩撮影)
私が駒場に助教授として赴任したのは、1982年。それから34年。ずいぶん長くお世話になった。浦島太郎のセリフが浮かぶ。この大学には1970年に入学し、文学部社会学科を卒業し、大学院に進み、新聞研究所(当時)で助手をして駒場に来たので、入学から数えて46年。本当に長かった。こういう次第で私はずっと東大しか知らなかったので、「絶滅危惧種」と言われることもある。

90年代に入ってすぐに、当時の文部省によって大学設置基準の大綱化が行われ、教養学部の試練の時が始まった。95年頃に大学院重点化があり、その混乱は2004年の国立大学法人化まで続いた。それに加えて、90年代後半には駒場寮廃寮という大問題を教養学部は抱えていた。

こういうご時世だったので、次から次へと大学の大仕事に関わることになった。そういう事情もあり、退屈をしている余裕はなかった。

たしかに駒場はよい場所だと思う。来客の多くには、広々として緑が素晴らしいとか、古い建物と新しい建物の調和が美しいとか誉めていただくことも多い。でも、それだけではないだろう。この地にはもっと本質的な、人を自由にする空気があるのだと思う。そう、「教養教育」。

「教養」という言葉が死語になったと言われて久しい。言葉は古くなってもよいのである。

中世西欧には自由七学科というものがあり、文法学、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽であったことはよく知られている。これらの学問は役に立たない学問であり、役に立つことを学ぶのは奴隷だとされていた。役に立たない学問を学ぶのは自由人だからであり、そういう人たちのステータスシンボルだったと言ってよい。

が、啓蒙の思想が広まり、例えば、17世紀のフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」では、ひとは誤解や先入観、あるいは偏見にいつもまみれていて、そこから自由になる必要があるとされた。

こうなると、自由七学科も意味が変わってくる。自由な人がする学問ではなく、自由になるためにする学問なのだ。「知は力なり」。
人を自由でなくしているものは、重力かもしれないし、病気かもしれないし、昔ながらの無知や弱さかもしれない。世界は、狭い世間に生きている私たちよりもいつも広い。

しかもこの学問は自分を自由にするだけではない。自分もふくめて人を自由にするのである。だから、この学問は、自分ひとりでやるものではない。あくまで共同の作業としてやってこそ意味がある。

私が大学に入学したころはいわゆる「大学紛争」が終わった直後で、誰もが学問の意味を問わざるを得ず、私もずいぶんに悩んだものだ。多くの友人たちとその悩みをぶつけ合い、また先生方の様々な考え、スタンスに触れて、多くのことを学んだ。
そう、リベラル・アーツ。これこそ私が探し求めていたものだと、後になって知った。
そういう自由な雰囲気は駒場のいたるところにある。

学生と教員との関係も相当にリベラルで、それがいきすぎると「この学生は私のことを友達と思っているのではないか?」と思うことすらあるほどだ。しかし、教室では真剣勝負そのもの。数年前には、授業中に学生に手をあげられ、それまで何年も教えていた論理の間違いを指摘されたこともあった(汗)。その時に助けてくれたのはTAとしてそこにいてくれた大学院生たちだった。

このことは、社会調査でフィールドワークに出かけた時も同じで、地域の課題や謎に直面している限り、誰が先生で誰が学生かなんてことは関係ない。

大学院生と熱心に議論をした。博士論文の指導では教員は学生から多くのことを教えられるのが常だ。夜遅くまで延々と議論を交わしたことも懐かしい。

こうしたこともすべて学問が自由であるからこそであって、それによって私たちも多くのことを学び、その都度成長したのだと思う。
やはり、職員や同僚のことも言わないといけない。

駒場の職員は意識が高く、仕事に一家言をもっているので、文部科学省のいろいろなGPプログラムで、ハーバード大学などを一緒に訪ねても、とても多くのことを吸収してくれたと思う。同僚に恵まれたことは言うまでもなく、部会や専攻を問わず、多くの方々に親しく接してもらい、たくさんの刺激を受けた。

私が退屈もせず飽きもせず、このキャンパスで34年を有意義に過ごせたのは、この「学問」のおかげだ。だから、ビバ リベラル・アーツ。

91年の大学設置基準大綱化の後、各地の大学で教養部廃止が相次ぎ、教養学部を維持している東大には無言のプレッシャーとなって重くのしかかっていた。なぜなら東大の態勢は圧倒的にマイノリティであり、こちらの側に「なぜ教養学部がないといけないのか」を説明する挙証責任があることになったからだ。

でもそれから時代は一廻りしたようで、このところ各地の大学で、教養学部の設置が進んでいる。これはとても喜ばしいことだ。
これまで私たちがやってきたことは間違っていなかった!
学生諸君、教職員のみなさん、自信を持って前に進んでください。ありがとうございました。

(国際社会科学専攻/社会)

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