HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報588号(2016年12月 6日)

教養学部報

第588号 外部公開

駒場をあとに さよならコンサート

石井洋二郎

幼年時代は、虫採り網を片手に蝶々を無心に追いかけていた。少年時代は、自転車に乗って私鉄沿線の街をあてもなく走り回っていた。青春時代は、学生演劇にのめりこんで毎日のように芝居小屋に足を運んでいた。そのころ出会った何冊かの書物に誘われて、法学部卒業後にフランス文学研究の道に転じてはみたものの、明確な未来予想図など描くこともできぬまま、ただ好きな本が読んでいられればそれでいいと、夢のようなことばかり考えていた20代のころを思い出す。

もちろんそれで食べていけるほど現実は甘くなかったけれど、時の過ぎゆくままに駒場の教員として28年(助手時代を入れれば30年余り)を送ることができたのだから、私は本当に恵まれていたと思う。赴任当初は綺羅星のごとき諸先生方の威厳と迫力に圧倒されて小さくなっていたものだが、ずいぶん年上に見えたその先生方も当時はまだ50代だったわけで、自分がいつのまにかその年齢を遥かに越えてしまったのだと思うと、感慨深いものがある。

最初の強烈な駒場体験は、赴任後まもない教授会での人事案件をめぐる騒動だった。その場に居合わせた人はもうほとんど残っていないと思うが、いつ終わるとも知れぬ臨時教授会で、マスコミにしばしば登場する有名教授たちが繰り広げる激論の一部始終をまのあたりにした長い夜の記憶は、今でも鮮明に残っている。駒場は想像以上に大変なところだ、こんな職場で自分はやっていけるのだろうかと、えもいわれぬ不安が募ってきたことは忘れられない。

その後のできごとを回顧し始めればきりがないのでやめておくが、毎年、教室で新入生たちと初めて顔を合わせ、彼らの期待と不安に揺れるまなざしに出会う瞬間が、私はたまらなく好きだった。その澄み切った眼を曇らせるようなことだけはしたくないという思いで「アー、ベー、セー」と繰り返す単調な歳月を、こよなく愛していた。そしてその特権的な喜びを知っている駒場の教員でいられることを、心底誇りに感じてもいた。

だから数年前に秋季入学問題で学内が混乱したときは、ギャップタームと呼ばれる半年間の空白が新入生たちの眼の輝きを失わせてしまう危うさを想像できない論調にたいして本気で腹が立ったし、東大の国際化推進にどうして駒場は反対するのかという学内外の無理解な声にたいしても、言葉にできないほどのいらだちを覚えた。研究科長としてというより、長年フランス語の初歩を教えてきた駒場の一語学教員としてである。

そんな日々を経てふと気がついてみると、最近は教室に足を運ぶ機会がめっきり減り、好きな本を読む時間よりも、アドミニストレーション関係の書類に目を通す時間のほうがずっと多くなってしまった。夢中になって蝶々を追いかけたり自転車を漕いだりしていたあの日に帰りたい、あずさ二号にでも跳び乗って終わりなき旅に出かけたいという気持ちがないわけではないが、今はむしろ、人生の半分近くを過ごしてきた駒場への恩返しをする貴重な機会を与えていただいたことを感謝している。

私はどちらかといえば論理よりも情念を、エートスよりもパトスを愛する人間であると思っているのだが、学内行政の場でしか接する機会のなかった先生方の目には、官僚的で冷徹なイメージのほうが強く残っているかもしれない。もちろん、すべては若き日の演劇活動で身につけた演技力の賜物である。今後は遅ればせながら、六十代も半ばになってVita Novaを生きようと決心したロラン・バルトのひそみにならって、素顔のままで「新しい生」を生きてみたいものだ。

最後に希望めいたことを言わせていただければ、駒場はいつまでも刺激と活気にあふれる祝祭空間であってほしい。この十数年来、東大にも面倒な課題が次々に降りかかり、誰もが時間の劣化に悩んでいることは事実だが、多忙を口実として研究への情熱を放棄してしまった教員にいい教育ができるはずがないし、疲弊した先生の顔を見て学生が元気になれるはずがない。いかなる権威にもおもねることのない駒場ならではの自由闊達な気風を失わず、大学人としての矜持に裏打ちされた建設的な批判精神を発揮して、21世紀の東京大学を牽引してほしいと切に願っている。

とりたてて才能にも能力にも恵まれていない私のような人間がこのダイナミックな職場で今日までつとめあげることができたのは、ひとえにすぐれた先輩・同僚諸氏、献身的な職員の皆さん、そして優秀な学生たちのおかげである。ひとりひとりのお名前を挙げることはできないが、月並みな挨拶であることは承知の上で、この機会に「ありがとうございました」という言葉だけはきちんと書き記しておきたい。

さよならは別れの言葉ではなく、再び逢うまでの遠い約束なので、今はさよならの代わりにThank you for your everythingと口ずさみながら、静かにマイクを、いや、ペンを置くことにしよう。
それでは皆さん、また逢う日まで。(以上、全16曲)

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

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