HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報593号(2017年6月 1日)

教養学部報

第593号 外部公開

大学での学びとは

酒井邦嘉

593-1-2.jpg新年度の駒場キャンパスには、三千人もの新入生が仲間入りする。ところが五月を過ぎたあたりから、キャンパスで見かける学生の数が徐々に減っていく。駒場に着任して二十年来、その原因はどこにあるのかと考えあぐねてきた。過酷な受験を終えて目標を失ったことによる燃え尽き症候群(バーンアウトあるいは五月病)なのか。それとも、大学での講義に慣れて期待や新鮮味を失うためか。惰性で講義に出るより、自ら学ぶ方がよほど大切だと悟ったのか(それなら取り越し苦労なのだが……)。それとも、できるだけ楽をして効率よく単位を取ろうとしているのか、サークルなど学問より楽しいことを見つけたためか。学生の実態を知りたいと思う一方で、その結果を突き付けられると怖いという気持ちが交錯する。

私は「効率」という言葉が好きではない。言語脳科学を専門として第二言語習得の脳研究もやっているが、取材を受けると、「外国語を効率よく身につける方法はありませんか?」と判で押したように聞かれる。学びとは、「効率よければすべてよし」なのだろうか。忙しい現代人には、確かに短時間で成果を得たいという思いが強いのだろう。しかし、十万年ほど前にできあがった人間の脳はIT化で変わるはずもなく、膨大な知識を短期間で詰め込もうとしても自ずから限界がある(ただし幼児期は例外)。むしろ吸収の過程に時間をかけて、物事を十分に味わった方がよほど有意義ではなかろうか。人のやらないことをやり、人の考えないことを考えるような「研究者」という仕事は、そもそも効率や楽と無縁だから、学問の現在を伝える講義も同じであって欲しい。

先日、講義中にレポートの課題を板書していて書き終えたところ、背後から大きなシャッター音が聞こえた。振り返るとタブレットを掲げた学生が目に入った。苦笑しただけで講義を続けたが、何か割り切れぬ思いが残った。海外の学会でも、撮影が許されるシンポジウムなどでは、スライドが切り替わる度に方々でシャッターが切られる。手書きでメモを取った方がよほど頭に入るだろうに、写真として記録することが習慣化しているように見受けられる。そうやって得られた大量の写真を、果たしてどれほど見返すことがあるだろう。

講義中には、パソコンでタイプする学生が目立つようになってきた。しかし、手書きでノートを取った方がはるかに理解や記憶の定着がよいことが、プリンストン大などの調査で実証されている。タイプすると、聞いた通り受動的に書き取る傾向が強いため、自分の言葉でキーワードを抜き出しながらまとめるという能動的なプロセスが疎かになってしまうのだ。あるジャーナリストから聞いたが、記者会見でタイプするようになってから、質問をする人が大分減ったそうである。質問をする余裕がなくなるほど受け身になってしまったら、取材として大きく後退するのではないか。講義も全く同じであろう。優れた質問が学問を作ることになるのだから。

人工知能が巷で話題になるようになってから、効率と競争の波がさらに加速したように思われる。しかし、機械を相手に効率を競い、記憶力の勝負を挑んでも、歯が立つはずはない。それならば、人間ならではの思索の深さや、直感の鋭さを生かして、学問や芸術を追究すればよいのだ。「追いかけられていないのに逃げてはいけない」というアル・ベイカー(マジシャン)の名言があるが、今から機械に負けそうだと匙を投げてはいけない。予測のできない未来を生き抜くための知恵と勇気は、大学での学び方にかかっている。

どんなに時代が変わろうとも、大学での学びの基本に変わりはないだろう。じっくり時間をかけ、想像力を働かせて本を読み、そして自分の頭で咀嚼すること、それに尽きる。そのためには、読書の時間を惜しんではいけない。それも他人の引用やコピーではなく、自らオリジナルの文献を渉猟して、眼光紙背に徹することが肝心だ。高校までの答を求める姿勢とは違って、大学では自ら問いを見つける能力が求められるが、読書はそうした力を磨くのに最適な方法なのである。大学の講義は、さらなる学びのための動機を与え、断片的な知識に体系や流れを提示してくれることだろう。「天は人の上に人を造らず」と言えども、世の中には際限なく優れた人がいる。エリート意識などはさっぱりと捨てて、謙虚に一から自分を磨くことに十分な時間をかけよう。そして新聞やジャーナルを読み、本屋に行くことで、自らのアンテナの感度を高めることだ。わざわざキーワードで検索しなくても、脳は自分の最も関心の高い記事や本を瞬時に見つけてくれるはずだ。そうやって瑞々しい好奇心を持ち続けていければ、さらに充実したキャンパスライフになるに違いない。

(相関基礎科学/物理)

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