HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報594号(2017年7月 3日)

教養学部報

第594号 外部公開

日本物理学会・第二十二回論文賞を受賞して

大川祐司

一九八六年と言えば今から約三十年前で、私は中学生であった。「レベッカ」というバンドが好きで、特に好きな「ラズベリードリーム」という曲が発売された年である。その頃の私はもちろんこの地球上で弦理論が革命的に進展しているということは知る由もなかったが、その頃からの難問のひとつを解決することができ、京都大学基礎物理学研究所の准教授の国友氏との共著論文に対してこの度日本物理学会から第二十二回論文賞を頂いた。
私たちにとって最もなじみ深い力である重力は、アインシュタインの一般相対性理論で記述される。また、ミクロな世界は量子力学で記述される。しかし、一般相対性理論と量子力学を矛盾なく融合した理論が構成できないということが、約百年間にわたる理論物理学の最大の問題のひとつとなっている。弦理論はこの問題の解決に重要な役割を果たすと期待されている理論で、素粒子が実は弦のように広がっていて、弦の振動の仕方によって異なる素粒子のように振る舞うと考える理論である。なぜかこのように考えることによって一般相対性理論が量子力学と矛盾のない形で含まれるのであるが、弦理論では散乱振幅と呼ばれる限定された物理量を収束しない級数展開で近似的に計算することしかできず、この意味において弦理論は未完成の理論と言える。

弦ではなくて点粒子の場合には、「場」を使うことでこの問題が克服されている。電場や磁場が場のなじみ深い例であるが、光とは電場や磁場の振動が波として伝わっているものである。ある方向に進む波の振幅を連続的に変化させるとエネルギーも連続的に変化するが、電場や磁場を量子力学的に取り扱うと、取り得るエネルギーの値が最小値の整数倍だけになり、あたかもその方向に進む粒子がその整数個だけあるようである。このように粒子性を持った光は、光子(フォトン)と呼ばれる。逆に電子のような素粒子も量子力学的に取り扱うと波動性を持ち、電子と陽電子の対消滅のような過程を取り扱うためには電子を記述する場を用いる。そこで、弦の場合にも「弦の場」というものを使えばきちんと定式化できるのではないかと考えるのは自然で、このようなアプローチは「弦の場の理論」と呼ばれている。この弦の場の理論の研究で重要な進展があったのが一九八六年である。

前述したように、弦理論では弦の振動状態の違いで様々な粒子を表すが、光子のようなボソンだけではなくて電子のようなフェルミオンも表すためには工夫が必要で、そのように改良された理論が超弦理論である。この超弦理論に対しても一九八六年の進展を受けて「超弦の場の理論」を構成しようと試みられたのであるが、今思えばかなり惜しいところまでできていたとも言えるものの、フェルミオンを記述する部分がうまく構成できず、約三十年間にわたって弦の場の理論における最大の問題のひとつとして立ちはだかることになった。

私は長らく弦の場の理論の研究をしているが、数年前からは超弦の場の理論を集中的に研究していた。ボソンを記述する部分に関しては著しい進展があったのだが、フェルミオンを記述する部分に関しては難しいということが分かっていたので距離をおいていた。そのようなおり、二〇一五年の五月に中国の成都市で開催された研究会でフェルミオンを記述する部分に関して斬新な取り扱いをしている講演を聴いた。フェルミオンを記述する部分に関して近年精力的に研究されている国友さんもこの研究会に参加していて、早速議論が始まり、ちょうどその頃に私が研究していたことが組み合わさり、ある段階でこれはうまく行くと確信した。私が中学生のときに読んだ夏目漱石の「夢十夜」の第六夜の運慶が仁王を刻んでいるシーンで、「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」と書かれていたが、研究がうまく行くときにはまさにこのようなイメージで、ボソンとフェルミオンを両方とも記述する超弦の場の理論の構成に世界で初めて成功した。

ちなみに私が使っている十六号館の部屋は米谷先生が退職されたあとで引き継いだ部屋であるが、米谷先生は弦理論が量子重力を含んでいることを世界で最初に指摘した研究者のおひとりで、私の隣の部屋を数年前まで使っていらっしゃった風間先生が約三十年前に研究されていたことが今回の国友さんと私の論文の鍵となる要素のひとつであった。また、私の隣の隣の部屋にいらっしゃる加藤先生が構成された弦理論のBRST演算子は、弦の場の理論の構成には無くてはならないものである。このような駒場素粒子論研究室の伝統が、今回の研究を後押ししてくれたように感じている。
私たちの超弦理論の理解は三十年前とは大きく変化していて、今、私が超弦の場の理論の研究をしているねらいは三十年前のねらいとは異なっている。超弦理論の真の姿の探求に向けて、今回の研究で得られた武器を手に、新たな方向から切り込んで行きたい。

(相関基礎科学/物理)

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