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最終更新日:2017.08.03

教養学部報

第594号 外部公開

<本の棚>広瀬友紀 著 「ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密」

大堀壽夫

広瀬さんはよく笑う人である。東大というところは真面目な人が多いせいか、冗談を言っても決して白い歯を見せまいとする人にしばしば出会う(まあ、私が疎まれているだけかもしれんが)。しかし広瀬さんはよくネタに反応してくれる。いつぞや英語スタッフの懇親会で、「たそがれは逢魔の時間」のネタをふったら、ノールックで正確なパスが帰ってきて盛り上がった記憶がある(一応言っておくと、大島弓子『綿の国星』第2巻収録の短編です)。

そんな広瀬さんのことである。ネタを探すのも、料理するのも、そして笑い・笑わせるのも、とても上手なのである。本書は広瀬さんご自身の子育て経験をもとに書かれた、ユニークなエピソード満載の読み物となっている。「まえがき」では「本書は、何かを体系的に学習してほしいという発想で書かれていない」と述べられている。確かに、専門用語を使って、理論を解説するという書き方はとられていない。だが、言語心理学・実験言語学の分野で国際的に活躍する広瀬さんだけに、事実の観察と分析の的確さが、背後にある理論にしっかりと支えられていることは、どの章を読んでみても明らかである。ここで章立てを詳しく述べるよりは、実際に本書を手にとってもらうのが一番なのだが、簡潔に紹介する。第一章「字を知らないからわかること」と第二章「『みんな』は何文字?」は音について、第三章「『これ食べたら死む?』」は語の形について、第四章「ジブンデ! ミツケル!」は文法について、第五章「ことばの意味をつきとめる」は語の意味、第六章「子どもには通用しないのだ」は言外の意味、第七章「ことばについて考える力」は言語への意識というテーマと、それぞれ対応する。

この意味で、本書はことばについての愉快な読み物であると同時に、「ちいさい冒険者」とのことばのダンジョン巡りを通じて、言語理論の見取り図の「引き換え券」を得ることも可能としてくれる。駒場キャンパスで学ぶ冒険者たちも(学生であろうと、教職員であろうと)、本書を読んだ後であれば、ふつうの概説書をスムーズに読み、分野の見取り図を容易に手に入れることができるだろう。「岩波科学ライブラリー」の企画力、さすがである。

私自身、言語習得の専門家ではないが、身のまわりには広瀬さんにご注進したい出来事がたくさんある。例えば、「ねえ、年寄りっていうのは、年があの世にだんだん寄っていくから年寄りって言うんだよね?」と祖母に向かって得意げに言い放って、激甚な反応を引き起こした子供を知っている(幼少時の私です、おばあちゃんごめんなさい)。思えばあの時、私は「年」という語の意味をどこか変に理解していた(第五章?)と同時に、「寄る」という語が含む方向性を取り違えていた(第五章? 第六章?)わけだ。ことばの意味を分析的に考えるという点では第七章とも関連しそうである。もう少し穏便な例でいえば、うちの子供が最初に発した有意味と思われる語はta-taだった(第一章? 第二章?)。ヤーコブソンという言語学者は、「なぜmamaとpapaなのか?」と題された論文で、世界の非常に多くの言語でこの二つの語が最初期に発せられる理由を音響学的な観点から説明しているが、なぜかわが子はこの「普遍性」に反した発達を見せた。やがてta-taはより明確に有声化し、dadaとなって父親を指す語となった(mamaは少し遅れてから有意味な単語として定着した)。今でも私は家の中では「ダダ」である。三面怪獣と同じ名をもつウルトラな栄誉に浴することになったのである。

本書の中には、もっと面白い、そしてちょっと頭をはたらかせれば奥深い世界を見せてくれる具体例がたくさん詰まっている。ネタばれはしない。みなさんで読んでください。個人的には、特に最後の第七章に興味を引かれた。ことばに対して意識的に向き合うこと、すなわちプチ言語学者となることは、外国語・母語を問わず、「よき話し手」となるために重要だという認識は、もっと広く共有されるべきだと思う。そして本書の読者の中から、駒場の言語情報科学専攻に進学する「冒険者」たちが出てくることを期待する。

(言語情報科学/英語)

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