HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報595号(2017年10月 2日)

教養学部報

第595号 外部公開

トランプのアメリカ

西崎文子

今年一月の大統領就任式の演説で、トランプ大統領は、これからは「アメリカ第一」があるのみだとぶち上げた。仕事が国外に流れ、インフラが崩壊し、都市が荒廃しているのは、これまでの政権がアメリカを犠牲にして他国を裕福にする政策をとってきたからだ。自分はそれを変えて見せる。アメリカの惨状を止め「アメリカを再び偉大にする」のだ。それは、自身の支持層を意識した強いメッセージであった。しかし、疑問に思った人もいたはずである。果たして「アメリカ第一」を掲げるアメリカは、「偉大」なアメリカたりうるのだろうか。

アメリカと「偉大」さとの関係は、複雑かつ厄介なものである。この国では歴史を通じて、自分たちは例外的に優れているという信念が再生産されてきた。その根底にあるのは、アメリカはかつて、ヨーロッパの圧政に対して自由の光を掲げた「丘の上の篝火」であり、また近年では、冷戦を勝利に導いた自由世界の盟主であったという自負である。自由や平等、民主主義などの政治原理の擁立、人種や民族的多様性の包摂、そして進歩への揺るがぬ信頼を標榜するアメリカは、人類の歴史の先導者である。このような認識が根を張ってきたと言ってよい。

言うまでもなく、このような優越意識は、疑わしい根拠に基づいている。自由を掲げたアメリカでは、独立後九〇年近くにわたり黒人奴隷制が温存され、二〇世紀に入っても人種隔離政策が続いた。人種主義を反映する厳しい移民制限策がとられた時期もあったし、思想・信条の自由が脅威に晒されることもあった。

さらに問題になるのは、この優越意識が対外政策に及ぼした影響である。アメリカの指導者は、しばしば自国の外交は自由や民主主義など普遍的な価値の追求を目的とし、利己主義、つまり「アメリカ第一」を超越すると説明する傾向にあった。領土の拡大が自由の領域の拡大と言いかえられ、諸外国への軍事介入が民主主義の伝播のためだと正当化されたのはその典型である。それは、自らに歯向かう勢力を、アメリカのみならず、自由や民主主義の敵だとして一方的に糾弾することにもつながった。このような姿勢がもたらす暴力的な結果は、ベトナム戦争やイラク戦争をあげるまでもなく明らかである。

それでもなお、この優越意識を後ろ盾に、アメリカが自国の繁栄と世界の繁栄とは分かち難く結びついており、民主主義があってこそ国際秩序は安定するとの原則を掲げ続けたことには大きな意味があった。第二次世界大戦後の国際秩序形成はそれなしには実現しえなかったであろう。もちろん、国際連合やIMF体制などが受け入れられた背景には、アメリカの経済・軍事的な力があったことは否めない。事実、旧社会主義圏を中心に、これらの組織はアメリカ外交の道具に過ぎないと切り捨てる国々も存在した。しかし、二〇世紀後半以降の国際秩序が維持されてきた要因として、自らの外交を「アメリカ第一」に矮小化することを拒否し、そこに普遍性を担保しようとするアメリカの外交理念が働いたことも否定できない。そのアメリカは、時として意のままにならない国際組織と激しく対立したが、それは、それらの組織の自律性や普遍性の証だったとも言えよう。

ところが、トランプ大統領は、このようなアメリカの歴史的前提を根底から覆したのである。これからは「アメリカ第一」があるのみだと宣言したとき、彼が否定したのは、TPPやパリ協定など個別の合意のみならず、普遍的な価値のもとに自国の利益と世界の利益とを調和させようと苦闘してきた歴史そのものであった。それは、この就任演説に、歴代大統領の常套句である自由や平等、民主主義などの言葉が一切登場しなかったことにも示されている。アメリカは、雇用を取り戻し、国境を取り戻し、富を取り戻すのだ。政治の基盤はアメリカへの完全な忠誠にある。団結するならば何も恐れることはない。アメリカは偉大な軍隊と神によって守られるからだ。ここには、良きにつけ悪しきにつけ、自らを普遍的な価値に導かれ世界を牽引する国家だとするアメリカの姿は見られない。

この夏、トランプ政権下のアメリカは深い混迷に陥った。広島と長崎への原爆投下から七二年を迎えた八月初旬、トランプは北朝鮮に対し、挑発を続けるならば世界がまだ見たことのない「火と怒り」を見るであろうと息巻いた。数日後、ヴァージニア州の大学町でナチスや南部軍の旗を掲げた白人至上主義者と反対派とが衝突し、反対派の一人が死亡する事件が起きたが、大統領は白人至上主義を無条件で非難することを拒み続けている。独裁者と脅し言葉の応酬合戦を繰り広げ、功罪入り混じる自国の歴史を顧みない大統領の言動は、世界に暗い影を投げかけている。唯一の救いは、トランプに対する道義的憤怒の高まりであろうか。好戦的ナショナリズムや人種主義、排外主義に対する原則的な「否」は、戦争や暴力の歴史と真摯に向き合う人々が明日につなげる唯一の希望かもしれない。

(グローバル地域研究機構/歴史)
 

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