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最終更新日:2017.10.25

教養学部報

第595号 外部公開

<本の棚>後藤春美 著 「国際主義との格闘 ─日本、国際連盟、イギリス帝国─」

小川浩之

本書は、多様なテーマや領域にまたがる歴史研究であり、さまざまな角度から評価することができる。以下では、評者の関心に引き付ける形ではあるが、本書の特長を大きく三つに分けて評価を試みたい。

第一に、本書は、両大戦間期の国際連盟とそれが体現した国際主義の再評価を試みる一群の研究のなかに位置づけられる。従来、国際連盟は日独伊の拡張主義と第二次世界大戦を防ぐことができなかったとして否定的に捉えられることが多く、両大戦間期の国際主義も、国際政治学の古典であるE・H・カー『危機の二十年』の強い影響の下、ユートピアニズムとして切り捨てられる傾向にあった。しかし、近年では、国際関係史の研究者の間で、「連盟が、経済、社会、人道面においても多くの責任を負っていたことも注目され始めている」(一三頁)。また、両大戦間期の国際主義についても、それを単にユートピアニズムと断ずるのではなく、その持ちえた可能性と限界について実証的に明らかにしようとする動きが見られる。著者の研究は、これまでもそうした潮流の重要な一部を成してきたが、本書はそれをあらためて一冊の本にまとめるとともに、さらにいくつかの新たな知見を加えたものとなっている。

第二に、近年、国際関係史において、医療・公衆衛生史とも括ることができる分野の研究が活発に行われている。本書では、中国で、特に一九三七年の日中戦争勃発後に広がった伝染病に対処するために、国際連盟が果たした役割が詳しく論じられている。具体的には、天然痘、コレラ、チフス、ペスト、赤痢、マラリアなどに対する伝染病対策事業である。「戦争の被害は戦闘から直接もたらされるものには限らない。衛生状況の悪化、人々の移動による伝染病の広がりもそのひとつである。中国の人々が戦火を逃れ、内陸へ避難移動するにつれ、戦場から離れた地にも影響は及んでいった」(一九五頁)のであり、それらの医療・公衆衛生面の活動の重要性が確認できる。さらに、中国と英領ビルマを結ぶ雲南ビルマロードが拡幅されるとともに、中国とビルマの境界領域─歴史的にマラリアが猖獗(しょうけつ)を極める地で、ペストも流行していた─で疫学的調査や伝染病対策が行われたことにも目が向けられている。著者は、伝染病対策の現場や国際連盟内で摩擦が生じたことを指摘することも忘れない。本書ではまた、一九三一年の長江氾濫を受けた洪水救援やアヘン等の麻薬の規制など、国際連盟(後者については創設期の国際連合を含む)の社会人道面での活動についてさらに具体的に扱われている。

第三に、必ずしも著者によって本書の意義として強調されてはいないが、ルドヴィク・ライヒマンの活動の解明を通したユダヤ史への貢献を指摘したい。国際連盟の対中国技術協力、特に医療支援で中心的な役割を果たした医師出身の国際連盟事務局保健部長のライヒマンは、ユダヤ系ポーランド人であった。著者は、自らが翻訳を担当したエリック・ホブズボーム『破断の時代』第六章などを参照しつつ、「フランス革命によって職業が解放される以前からユダヤ人は医者として活動してきており、革命によって世界を変革するという考え方、国際的なネットワークの中での活動も、ユダヤ系によく見られたものだった」(四五頁)と指摘する。自らもユダヤ人であるホブズボームは、『破断の時代』のなかで、「ユダヤ人の歴史を書く執筆者の大半は、ユダヤ人である。彼らは、ユダヤ人の外界に対する影響についてではなく、外の世界からいかに自分たちが影響を受けたかについて集中して書く傾向がある」(一〇七頁)と従来のユダヤ史研究の特徴と限界を指摘する。それに対して、著者の研究は、ライヒマンというユダヤ系の国際主義者の中国での活動を扱う点で、ユダヤ人以外の研究者による、ユダヤ人の外界に対する影響を明らかにする歴史研究であり、ホブズボームの言う既存の研究の限界を乗り越えうるものと位置づけることができるだろう。

本書は、以上のような研究史上の意義を持つと考えられるとともに、研究手法の面では、ロンドン郊外のイギリス国立公文書館(TNA)とジュネーヴの国際連合ジュネーヴ事務局(旧国際連盟本部)内の国際連盟文書館(LNA)を中心に、複数の文書館に所蔵された多くの一次史料を活用した実証研究である。それゆえに、巻末には詳細な註が付されているが、本文の筆致は簡明で、広い読者にとって読みやすく書かれている。国際関係、国際機構、国際主義、医療・公衆衛生、ユダヤ人などの歴史を広くカバーする重要な研究が、幅広い読者に手に取りやすい形で刊行されたことを喜びたい。

(地域文化研究/英語)
 

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