HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報601号(2018年6月 1日)

教養学部報

第601号 外部公開

「中国語を学ぶ」から「中国語で学ぶ」への転換とその先にあるもの

石井 剛

後期TLPが掲げる理想

TLPの実施において先陣を切った中国語は、二〇一五年度から後期課程にその取り組みを拡大しました。前期課程での学習で、英語圏や中国の大学での学部教育についていけるだけの英語力と中国語力を身につけた学生さんたちにとって、次なる目標は言語能力の習得ではなく、それらを使って学問を探究することです。そこで後期TLPでは、「東西文明学」という科目群を設置し、「思想と批評」、「言語と歴史」、「国際社会科学」、「環境と身体」という四つのカテゴリーについて、英語と中国語のそれぞれで学ぶプログラムを展開しています。英語については、多くのプログラムや科目が本学でも展開されています。その一方で、中国語を教室での使用言語とする科目というのは、本学で初めての試みであるばかりでなく、おそらく世界的に見ても、非中国語圏の大学としては、ほかに例を見ないことではないかと思います。後期TLPは、修了証獲得のための必須科目である「東西文明学」以外にも、語学訓練のための科目や海外研修の機会提供など複層的な構成で、学習者の皆さんが「中国語を学ぶ」から「中国語で学ぶ」へのステップアップを順調に遂げられるよう万全のサポート体制を築いています。

ところで、このステップアップの意義は、単に使用可能言語の数が増えるというだけには決してとどまらないでしょう。世界で急速に進むグローバル化をリードしてきた言語は、まぎれもなく英語です。世界大学ランキング上位には、英語によって研究教育を行う大学が並んでいます。必ずしもランキングが大学の価値を決めるわけではないはずですが、英語による研究成果発信を行わないかぎり、どんなにすぐれた研究も国際的な認知を得られにくいという現実がそこに投影されているのも、また否定しがたいことのように思われます。

ところが、ここ二、三年、ランキングの傾向に見逃せない変化が生じてきました。報道にもあるように、清華大学や北京大学のような中国のトップ大学がランキング上位に現れ、東京大学を凌駕するまでに至っているのです。このことはいったい何を意味しているのでしょうか。ランキングを左右する大きな要素が英語中心の国際競争力であることは事実であり、中国のトップ大学が質量においてその点を強化しているということなのでしょう。しかし、ここにはグローバル化の新たなフェーズが兆しているのを見逃してはならないでしょう。それは、アメリカ合衆国を中心として進んできたグローバル化の表舞台に中国の存在が姿を現したということではないでしょうか。そうすると、英語を介して行われてきた知的生産の豊かな成果は、中国語の世界に環流し始めていくことになるでしょう。その先にわたしたちは、どのような知の再マッピング過程を見ることになるでしょうか。そのとき、英語と同時に中国語によってアカデミックな知識や情報を使いこなせることは、大きく言えば、人類の知の最先端を担うために不可欠な技能になっているのではないでしょうか。

知識や情報、技能ということばを使いました。しかし、「東西文明学」という、ともすれば古めかしい感じすら醸し出すネーミングで後期TLPの科目群を呼んでいるのは、英語だけのグローバル化から中国語をも巻き込んだグローバル化へとシフトしつつある世界の近未来像が、単なる技術的転換に止まるものではなく、おそらくは文明的な転換を伴うものであろうという予想が込められているからです。言うまでもなく、中国語の世界には紀元前から続く重厚かつ膨大な古典の智慧が豊かに存在しています。文明の転換点とその先において、わたしたちはそうした古典の中から「新しい人」の姿を見いだすことができるかもしれません。ルネサンスが古典ギリシャ的人間性の復興を目指したことからも明らかなように、新しいものは常に古いものに立ち返ることによってしか生まれてきません。中国語はその意味で、二十一世紀の大きな転換点の中から新しい豊かな文明を構想する際に、格好の資源を提供してくれることでしょう。今日の国際社会の荒波の向こうに開ける新しい時代を想像するために、中国語はきっと重要な役割を果たします。

さて、発足から丸三年が経過した後期TLPでは、この三月、めでたいことに一名の修了生を出すことができました。彼女はオックスフォード大学の大学院に進学しました。ハイレベルの中国語を身につけて、世界最高峰の大学の一つに進み、そこで英文学を研究するそうです。後期TLPが目指すのは、中国語や中国という地域の専門家を育てることではありません。グローバル化の潮に向かって敢えて漕ぎ出し、その中で新しい世界のあり方を想像することのできる人こそが、わたしたちの理想とする人材です。われこそはという意欲的な学生さんをわたしたちはいつもお待ちしています。

(地域文化研究/中国語)

第601号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報