HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報605号(2018年12月 3日)

教養学部報

第605号 外部公開

哺乳類の受精を支える時計システム〜卵が時間の余裕をつくり精子の変身を助ける〜

大杉美穂

有性生殖を行う動物では、受精によって次世代の最初の細胞が作られる。卵と精子の融合は受精過程の始まりに過ぎず、全能性(分裂を繰り返し個体となる能力)を獲得した受精卵になるには、卵と精子がもっていた染色体がそれぞれ異なる変化を遂げて雌性前核と雄性前核(受精卵内に作られる一倍体の核を前核と呼ぶ)になる必要がある。
卵の染色体は、一倍体の卵子となるための最後の細胞分裂の途中、すべての染色体が一列に整列したところ(減数第二分裂中期)で止まっている。精子との融合により停止が解かれ、染色体は大きな受精卵側と、極体という最終的には消失してしまう小さな細胞側に等分配されて、受精卵側に分配された染色体が雌性前核となる。一方、精子の染色体はさらにドラスティックな変化を遂げる。酸性の物質であるDNAは、染色体内ではヒストンという塩基性のタンパク質に巻きつき安定に存在している。ところが精子形成の最終段階で、DNAが結合する塩基性タンパク質がヒストンからプロタミンという小さなタンパク質に置きかわるため、精子の染色体は高度に凝集した特殊な状態にある。卵と融合したのち、精子染色体はプロタミンを解離させてヒストンと結合し直すことで一般的な染色体へと「変身」を遂げる必要があり、その後に雄性前核になる。
この一連の過程はすべての脊椎動物で共通であるが、多くの脊椎動物、例えばカエルでは受精開始から二十分ほどで前核が作られるのに対し、哺乳類では数時間もかかるという大きな違いがある(カエル受精卵は数時間後には百を超える細胞数に増えている)。この違いは長く認識されていたものの、哺乳類だけ長時間かかるのはどのようなしくみによるのか、またどのような重要性があるのかはわかっていなかった。
重要性を知るには、前核ができるまでの時間を人為的に短くしてみればいい。これまでの研究から、前核ができるまでの時間を決めている「時計システム」は卵のタンパク質が担うことがわかっていた。一方、脊椎動物細胞が分裂する際、核をつくる膜構造(核膜)が一時的に分散する(卵も分裂の途中で停止しているので核構造がない)。分散は核膜構成タンパク質がリン酸化という化学修飾を受けて、その構造や活性が変化することで起こる。細胞分裂が終わると逆の変化、つまり脱リン酸化されることで核が再形成される。そこで、時計システムの一員と予想された脱リン酸化酵素を過剰に卵に導入したところ、マウス受精卵の前核形成タイミングをカエル並に早期化することができた。
すると、受精卵の雄性前核にはヒストン量の減少、小型化、DNA損傷の増加といった異常が見られ、最終的に最初の卵割分裂時に染色体の等分配に失敗してしまう、という致命的な異常が生じた。この実験結果に加えいくつかの検証実験を行った結果、次のことがわかった。
・前核形成を早期化しても卵の染色体・雌性前核には大きな異常は生じない。
・マウスの精子染色体の「変身の完了」には一時間以上かかる。
・精子には卵の時計システムに作用する活性はなく、変身未完了でも時計を止められず、時間がきたら核ができる。
つまり、哺乳類の前核形成が遅いことには、全能性をもつ受精卵を作る上で欠かせない精子染色体の大規模な変化の完遂を保証する、という重要性があった。
では、哺乳類卵に特有の時計システムの分子実体は何だろうか。細胞分裂中、染色体が分配される前に核が再形成されてしまっては困る。そのため、CDK1という染色体分配開始の直前まで活性をもつリン酸化酵素が、いくつかの分子の調節を経て最終的に時計システムの脱リン酸化酵素を抑制し、核再形成を阻害している。カエルの受精卵では、整列していた卵染色体の分配開始と同時にCDK1が不活性化されるとこの抑制が解け、二十分程度で核ができる。ところが、マウス受精卵ではRSKという、染色体分配開始後も数時間活性が持続するリン酸化酵素がCDK1と同じようにはたらいており、前核形成が長時間阻害されていることがわかった。カエル卵もRSKをもつが、RSKによって活性を調節されるタンパク質のアミノ酸配列の一部が異なり、RSKが作用できないしくみになっていた。つまり、RSKが作用できるか否かが、哺乳類とその他の脊椎動物卵の時計システムの違いであることがわかった。
哺乳類特有の受精・発生のしくみについて取り組むべき課題は多いが、卵を多数得ることが難しく実験方法も限られる。今回はカエルとの比較を行うことで新しい発見につながったが、一つの研究室がマウスとカエルの両方を使う実験環境を整えるのは実は意外と難しい。この研究は、同じ統合自然科学科でカエルの発生研究をしている道上研究室との共同研究であり、すぐ近くで多様な研究が展開されている駒場の利点を生かした研究成果と言える。

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(生命環境科学/生物)

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