HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報610号(2019年6月 3日)

教養学部報

第610号 外部公開

<本の棚>山口富子・福島真人編『予測がつくる社会 ─「科学の言葉」の使われ方』

橋本毅彦

人間は古くから将来を予測してきた。人は将来を展望して人生設計を行い、投資家は近い将来に利益を上げそうな有望企業に投資する。近年になり将来を展望し、人々に期待や警鐘を与えたりする役割を科学技術がますます担うようになってきている。iPS細胞や遺伝子編集技術の発明は人々に将来の医学の飛躍的な発展を期待させ、その一方で地球科学者たちの集めるデータは地球環境の不可逆的な変化とそれに伴う地球規模の災害の到来を警告する。
そのような状況を踏まえ、二〇一五年度から四年間、科研費の共同研究プロジェクト「「予測」をめぐる科学・政策・社会の関係」が遂行され、そこで数多くの調査研究がなされた。本書はそれらの研究成果の一部をまとめたものである。本書は序章に続き、「未来を語る─期待の社会学」、「未来のエコロジー─予測モデルの動態」、「未来をつくる─予測モデルと政策」という三部にそれぞれ三章ずつが配される構成になっている。取り上げる内容は、医学、防災、地震学、法学、経済学と多岐にわたり、科学技術による予測に関する問題を多面的に論じている。英語タイトルには「シミュレーション」の語が入っており、各分野の科学的シミュレーションが多くの章で分析対象となっている。また執筆者は、工学畑の方もいるが、多くは文化人類学や社会学を専門とする方々である。
序章は編者の一人である本学文化人類学コースの福島真人教授によるものである。福島氏はこのような科学技術による予測という行為とそれがもつ社会的問題性を、近年の科学技術論の活発な研究状況を踏まえ、また文化人類学や哲学理論の議論にも触れつつ、問題の背景や分析視角を多角的に解説する。一読することで、問題状況をよく俯瞰させてくれる。
科学技術の予測をめぐる社会学的研究で、「期待の社会学」というものがある。科学技術は膨大なデータと緻密な分析からなるべく正確な将来像を予測しようとする。だがその反面で、当該科学技術が発展することで夢のある将来像を描き、その発展のための資金援助を社会から得ようとする。「期待の社会学」は、科学技術が期待を生み出す一方で、ある意味で自分を売り込んでいく過程を、一歩距離をおいた地点から分析しようとする。
本書の論文の中から、この「期待の社会学」を扱ったものとして、上記プロジェクトの代表者を務めた山口氏の「未来の語りが導くイノベーション」(本書第二章)の内容を紹介しておこう。山口氏はそのような事例として、最近にわかに脚光を浴びるようになったゲノム編集技術とそれによるバイオテクノロジーへの期待を取り上げる。ジャーナリズムで「第三世代のゲノム編集技術CRISPR/Cas9の爆発的な普及により、生命科学研究は大変革を迎えつつある」と報じられる傍ら、科学技術政策を担う行政でもいち早くこのゲノム技術に研究資金を拡充させようとした。山口氏はその事情を二〇一五年六月と同年九月に公表された報告書の内容の差から、将来への期待という抽象的なイメージがより具体的な実施体制の提言へと三ヶ月の間に変貌していったことを指摘する。このように予測が具現化されていく過程を描いた上で、改めて、「誰のための期待であり予測なのか」と読者に問うのである。
本書の多くの論文は、科学研究の科学的内容や研究室の日々の活動までには立ち入らない。サブタイトルが言うように「「科学の言葉」の使われ方」に関心を寄せることで、科学研究活動と社会との境界面を分析しようとするのである。福島氏は、最近出版されたもう一つ著作『真理の工場─科学技術の社会的研究』(東京大学出版会、二〇一七年)で、そのような研究室の内部にまで立ち入った分析を行っている。同書は、理化学研究所の一研究室に関する詳細な事例分析に基づき、その事情を解説した力作であり、本書で関心が喚起された読者には是非一読を薦めたい。
それにしても科学技術が関わる予測は膨大であり、その重要性もますます増している。それ故、このような科学的予測をめぐる人文学的、社会学的研究は今後も重要性を増していくことだろう。そのための重要な一里塚を日本の読者に提供してくれている本である。

(相関基礎科学/哲学・科学史)

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