HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報529号(2010年5月 6日)

教養学部報

第529号 外部公開

日独共同大学院プログラム 市民社会論の現在と展望
――日独共同大学院プログラムに寄せて――

山脇直司

B-2-1-01.jpg二〇〇七年九月以来、本学の総合文化研究科とドイツのハレ大学との間で、日独共同大学院プログラム(通称IGK)が遂行されている。それは主に、双方の 大学院博士課程の教育研究を共同で行うというもので、これまで、十月にハレ大学、三月に駒場で、それぞれ三回ずつ、当該教員の指導の下、共同セミナーが行 われてきた。その際の共同研究課題は「市民社会の形態変容、日独比較の観点から」であり、①市民社会の概念史、②市民社会のアクター、③市民と国家の関 係、④トランスナショナルなコンテキストのなかの市民社会、⑤市民社会に対抗する動き、の五つのサブテーマから成る合同研究が現在進行中である。

それで筆者もこの研究の一翼を担わされてきたが、研究メンバーに歴史家が多い中、筆者のいわば専門である公共哲学と社会思想史という観点から、このプログラムのテーマに関して、現在抱いている所感を簡単に述べてみたい。

まず概念史からみていこう。市民社会という日本語は、英語ではcivil society に当たる。けれどもドイツ語では、bürgerliche Gesellschaft、Zivilgesellschaft、さらにBürgergesellschaftという三つの表現があって、それぞれのニュ アンスが違う。そればかりではない。日本語の市民社会という概念もまた、独自のニュアンスで使われ、意味内容が変遷してきた。具体的に言えば、戦後日本で この言葉は、内田義彦、高島善哉、平田清明らのネオマルクス主義者によって、「私的所有に基礎を置く資本主義体制という限界の中で市民がそれなりの自由を 享受できる(=社会主義体制の前段階にあたる)社会」という意味で用いられることが多かった。

しかしマルクス主義の退潮とともに、そうした意味合いの市民社会論は次第に廃れ、一九九〇年代からは別な意味での市民社会論が登場する。すなわち、一九 九八年のNPO法の制定と相前後して、「政府とも営利企業とも違う非営利組織や、一般市民がアクターとなる社会」という意味でこの言葉が用いられるように なった。いわば、体制論ではなく、アクター論が市民社会論の中枢を担うようになったのである。

他方ドイツにおいても、東欧革命を経た一九九〇年代以降は、新興ブルジョアジーを主要なアクターとして想定したbürgerliche Gesellschaft(日本語ではブルジョア社会と訳されることが多かった)ではなく、一般市民の公論が形成される場という意味での Zivilgesellschaft が多く用いられるようになった。たとえば、戦後ドイツの思想界をリードしたユルゲン・ハーバーマスは、そのような意味での市民社会を、具体的に「教会、文 化サークル、学術団体、独立したメディア、スポーツ団体、レクリエーション団体、弁論クラブ、市民フォーラム、市民運動から、同業組合、政党、労働組合、 オルターナティブな施設に及ぶ非国家的・非経済的な結合社会(Assoziation)」と定義した。

このような状況の中で、ハレ大学が今回採用した市民社会に当たるドイツ語は、そのどちらでもないBürgergesellschaftである。これは、 公論形成の場という定義よりも広く、同じく戦後ドイツの著名な知識人で、昨年逝去したラルフ・ダーレンドルフの「非権威主義的で多層的・自律的な組織や制 度から成る社会」という意味に近い用語法と言える。

それはまた、英語圏で活躍するアメリカの政治思想家マイケル・ウォルツァーの「家族、信仰、利害、イデオロギーのために形成され、この空間を満たす非強 制的・関係的なネットワーク」としてのcivil societyというコンセプトにも近いであろう。この広義の市民社会概念には、マフィアやヤクザやカルトなどの強制的なアソシエーションはアクターに含 まれないが、利害調整機構としての市場は含まれることになる。こうした市民社会の新たな概念とアクター論によって、市民社会論は規範中心的アプローチから 解放されると同時に、それぞれの状況に即しつつ、乗り越えられるべき問題群と取り組むこともできる。

国家と市民の関係、トランスナショナルなコンテキストにおける市民社会、市民社会に拮抗する勢力というテーマに関して言えば、それらは両国の比較社会論 的な視座によって、生産的なものになるだろう。実際、戦後のドイツと日本は同じ敗戦国でありながら、この半世紀あまりの社会の歩みには、興味ぶかい類似点 と差異が見出される。

奇跡の経済成長を支えた両国の公共哲学の違い(日本の場合は官僚主導のケインズ主義、旧西ドイツの場合は社会的市場経済観に基づくオルド・リベラリズ ム)、一九六〇年代後半に起こった学生反乱の共通点(赤軍派にみられるような過激派の出現など)と成果の違い(五十五年体制が続いた日本と、新たに社民党 政権や緑の党を生んだドイツ)、近隣諸国との関係修復度の違い(一九八〇年代以降に東アジアで孤立した日本と、EUの要となったドイツ)、教育文化の違い (一九七〇年代以降に管理教育が強化された日本と討議教育が進展したドイツ、受験体制が強固に存在する日本とそれが乏しいけれども職業教育が徹底している ドイツ)、両国の右翼的な社会運動の比較(一九八〇年代以降にメディアを利用して影響力を増した日本の場合と、ネオナチのように一部の若者をひきつけたも のの、メディアを利用した政治勢力には至らなかったドイツ、ドイツには無い日本のヤクザの位置づけ)など、両国社会には興味深い様々な現象が見出される。

そうした社会現象を、改めて市民社会論の一環として研究することが、今後の課題と言えよう。

ともあれ、政府機構と区別された市民社会は、政治を方向づける究極的アクターは一人一人の市民の協働や総意だという自覚を伴ってこそ、ダイナミックで活 き活きとした社会になるだろう。日本では、昨年秋の政権交代によって、「新しい公共」がキャッチフレーズになり、政府と市民社会のカバナンス(共治)が謳 われ、そうした市民の自覚が強まったように思われるが、それがどこまで日本の市民社会の発展や成熟に繋がるかは、不確定である。実際、今年夏の参議院選挙 次第で何が起こるか判らない。しかし、本ページに掲載されているフォリヤンティ教授の記事が示すように、現下の日本の政治状況は、日独共同大学院プログラ ムにとって格好の研究材料を提供していることだけは、確かないように思われる。

(国際社会科学専攻/社会・社会思想史)

※表記出来ない文字も含まれています。紙面でお確かめ下さい。

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