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最終更新日:2022.12.06

教養学部報

第531号 外部公開

〈本の棚〉 山脇直司著『社会思想史を学ぶ』

小島憲道

C-6-2.jpgはじめにお断りしておきますが、私の専門分野は物理学と化学の分野にまたがる物性科学であり、政治思想史の分野からは遠い存在ですが、二年前に著者をは じめ総合文化研究科・教養学部の教員(元教員を含めた六人)で哲学旅行を楽しみ、著者の公共哲学に共感を覚える者として書評を書いています。

“社会思想史を学ぶ”という題目からは一見、入門書のように思われますが、著者の題目の意図は、“社会思想史とは、歴史的に形成された現代社会を思想と いうフィルターを通してとらえ、未来社会を構想するための、過去の思想の蓄積との対話”であります。このような視座に立って、古今東西の社会思想・公共哲 学との対話を通して現代社会の克服すべき問題を浮かび上がらせ、その問題をどのように解決すべきか、読者が著者とともに思考する本であります。

この本は、第一章「現代思想批判から近代啓蒙思想の見直しへ」、第二章「社会思想史は何を軽んじてきたか――自然・宗教・悪」、第三章「近代啓蒙思想を きたえなおす――立憲国家・市民社会・超国家組織」、第四章「分断された社会をつなぐ思想――歴史・文化・対話」で構成されています。

第一章は、一九八〇年代の現代思想批判から始まります。著者は一九八〇年代にミュンヘン大学で哲学博士の学位を取得し日本に帰国した時、西ドイツと日本 における公共哲学に根差した政治文化や社会意識の落差に驚愕していますが、日本の市民に公共哲学に根差した政治文化や社会意識を啓蒙する使命感が、『社会 思想史を学ぶ』の出版の動機となっていることが分かります。当時の大統領であるリヒャルト・ヴァイツゼッカーが一九八五年に演説した「荒野の四〇年」に、 西ドイツを背負った大統領の気高い公共哲学の精神を見ることができます。

著者は一九八〇年代の現代思想を概観した上で、戦後西ドイツを代表する社会哲学者であるハーバーマスの講演「近代、未完のプロジェクト」(一九八一年) から“近代啓蒙思想の正の遺産を軌道修正しつつ引き継ぐことこそ、現代の袋小路から脱出する道である”という言葉を引用し、近代啓蒙思想を再考していきま す。フランシス・ベーコンからヘーゲル、マルクスに至る近代啓蒙思想は社会思想の中心に「文明の進歩」という価値を据えましたが、同時に「進んだ文化」と 「遅れた文化」という図式が支配的になりました。

第2章では、近代啓蒙主義的観点に立脚した社会思想史が十分取り上げてこなかった「自然と人間」、「宗教と人間」という問題を思想史的に考察していま す。「自然と人間」については、ダーウィンが一八七一年に出版した『人間の由来と性淘汰』の紹介から始めて、『社会生物学』の著作で知られるウイルソンと 『利己的遺伝子』の著作で知られるドーキンスの思想を対比させながら人間社会の進化について考察しています。「宗教と人間」については、スピノザとライプ ニッツの思想を対比させた後、フランス啓蒙思想(反宗教)とドイツ啓蒙思想(親宗教)との対比、近代日本におけるキリスト教社会主義とマルクス主義との拮 抗などを通し、「宗教と人間」という問題を思想史的に掘り下げています。

第三章では、近代啓蒙思想が獲得した「正の遺産」である自由や人権に基づく立憲国家・市民社会・超国家組織についてカント、フィヒテ、ヘーゲル、福沢諭吉、南原繁、丸山真男の思想を現代社会の課題に照らし、克服すべき課題を浮かび上がらせています。

第四章では、本書の目的である“社会思想史とは、歴史的に形成された現代社会を思想というフィルターを通してとらえ、未来社会を構想するための、過去の 思想の蓄積との対話”の実践として、ハイデガーの弟子であるガダマーが一九六〇年に出版した『真理と方法』で展開した解釈学の技法により、過去の政治思 想・公共哲学の蓄積に現代社会の課題に照らし、未来社会を築く道標を提案しています。

インマヌエル・カントは一七九五年に著書『永遠平和のために』で、国内法、国際法、世界市民権という三つのレベルで市民的公共性が実現されるべきである こと、自由な諸国家の連邦制によって国際法が遵守されるべきであること、世界市民権を人間がどの国に行っても世界市民として厚遇・歓待される権利、自由な 各国の交易が世界平和に貢献することを提案していますが、冷戦の終焉後に実現したEUおよび共通の通貨であるユーロの実現は二百年以上前のカントの構想に 結びつくものであり、「解釈学的理解」によりカントの公共哲学が高く再評価されています。

しかしながら、一九八九年に起ったベルリンの壁の崩壊と一九九一年に起ったソビエト連邦の崩壊による冷戦の終焉後、多くの人が期待した平和な時代が訪れることはなく、東欧および中近東で起った戦争のように、民族間の憎悪や宗教問題などが浮かび上がってきました。

著者は、混迷を深める世界情勢のなかで、批判的で対話的な歴史理解と文化理解を遂行する解釈学的な視座に立って、各自が置かれた現場や地域(ローカル)から全地球的視野(グローバル)をもって未来社会を構築する哲学「グローカル公共哲学」の重要性を提案しています。

最近の日本政府の迷走ぶりを見るにつけ、日本政府のみならず日本社会における公共哲学の欠如を感じていますが、著者が出版された『社会思想史を学ぶ』は現在の日本社会にとって時に適った本であり、是非読んで頂きたいと思っています。 〈ちくま新書、七五六円〉

(相関基礎科学系/相関自然)

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