HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報532号(2010年10月 6日)

教養学部報

第532号 外部公開

化学反応で駆動するフラスコを創る

豊田太郎

B-1-1.jpg私が自己紹介で化学の研究していますと話すと、聞き手の方々は、フラスコに試薬の溶液が入っていて、私がそれらを混ぜて、様々な化学反応を起こしている、といったイメージをよく抱かれます。

混ぜて化学反応が起きるか起きないのか(溶けるのか溶けないのかなども含めて)という過去の膨大な実験結果の蓄積から、物質の構成粒子が原子・分子であることを、そこから自然法則を導き、さらに新しい物質や機能をつくり出す学問が化学といえます。

このとき、フラスコそのものは人によって動かされ、傾いたフラスコから溶液は別のフラスコへそそぎ込まれています。その点で、フラスコや溶液の動きは、運動の方程式などの物理的法則にも支配されています。

実は自然界を見回してみると、人がそうした操作をせずとも、大気や河川・海どころか土壌さえも常に動いています。その中で物質は混ぜられ化学反応が起きており、そこでできた物質の性質や蓄積によって環境の動きも変化し、それがまた物質の化学反応に影響を与えるという、物質と環境の変化の大きな連環があります。

生物もその連環を成す一部といえます。生態系のシステムから、遺伝子やタンパク質の化学反応のネットワーク、それらの時間発展である進化といった謎を紐解くと、多様な生物が生きることができる可能性の変化は、常に環境の変化とつながっていると言えます。

このような自然界の大きな連環そのものにある自然法則とは何か、さらにそこから新しい物質や機能をつくることはできないか、と私は考えています。

このとき、自然界をくまなく調査して、分析・計測手法を駆使して本質に迫る研究は非常に重要です。一方で、私は自然界のもつこの連環をモデル化して実験室内で実現できる研究に興味をもっています。よく素性のわかった物質のみを用いて、このような連環を実現できるならば、そこに内在する自然法則の導出に一歩近づくことができると期待されるからです。

そこで私は、本稿のタイトルにもあるように、この連環に対して最も単純なモデルとして、化学反応で駆動するフラスコをつくる研究を行っています。

つまり、フラスコに化学物質が取り込まれ、内部で化学反応し、その結果、フラスコそのものが駆動するというモデルです。

現時点でこの研究の課題は、三つあります。

 一つ目の課題は、フラスコの材料です。ガラスやプラスチックのような容器を駆動するには大きなエネルギーが必要です。それをフラスコ内部の化学反応から生み出される物理・化学エネルギーでまかなうのは難しいので、よりサイズを小さくし、より柔らかい材料が必要となります。そこで私は、有機物質で、かつ分子が分子間相互作用で寄せ集まった分子集合体に注目しています。

二つ目は、制御の問題です。フラスコが内部の化学反応に伴って破裂してしまってはいけません。したがって、柔らかい分子集合体の容器であっても、境界を維持できる制御機構が必要になります。

最後の課題は、フラスコが動くエネルギーをどうつぎ込むかです。エネルギー源の分子をつぎ込めば、確かに化学反応は進みます。しかし老廃物となった生成物をフラスコの外に出さなければ、あたらしいエネルギー源の分子をとりこむことができなくなってしまいます。

このような課題は、平衡という物質のつりあいの状態からは遠く、また物質もエネルギーも分子集合体と環境との間でやりとりされる、非平衡開放系のシステムであり、化学、物理、数理・情報の学問分野で注目されています。

これまでの研究例を紹介します。その研究は身近な現象から出発しました。

油の粒を水に浮かべ、そこに界面活性剤を添加すると、界面活性剤は油の粒を水に溶解します。これは、界面活性剤が油粒の表面に吸着して、油分子の周囲を取り込み、ナノメートルサイズにまで溶け出させる現象です。

では、その油の粒に、界面活性剤を分解する触媒を混ぜておくとどうなると思いますか? 界面活性剤は、油の粒を溶かすように表面に吸着し始めると、すぐに分解されてしまいます。

実はこのような条件で、粒子径約一〇〇マイクロメートルの油の粒(ゾウリムシとほぼ同じ大きさ)は、溶解されないどころか、水中を遊走するという現象がみつかりました。さらに分解物は、油滴の尾部に集積され、放出されていました。

つまり、外から界面活性剤を添加すると、それを界面から取り込み分解することで、油滴は動き出し、しかも分解物は油滴の外へ放出されるというシステムになっていることがわかりました。

しかも、注意深く観測すると、油滴の内部は移動方向に対応するように対流をつくりだしていることがわかりました。つまり、油滴は自ら内部を攪拌しているのです。

分解してできた物質の一方は水に可溶なので、油から容易に放出されます。もう一方の分解物は油に可溶ですが、油粒には取り込まれずに尾部から放出されるのは、未反応の界面活性剤と一緒になっているためだと考えられます。

これまでの研究から、遊走のエネルギー源は、化学反応によって発生する化学エネルギーそのものというよりも、取り込んだ界面活性剤とその分解物がもたらす油の粒の界面エネルギーの変化量であることがわかってきました。

さらに研究を進め、界面活性剤の濃度勾配をつくったプールに油の粒をおいたところ、その濃度の濃い方へ遊走する油滴も見出されてきました。

したがって、この油滴が上に挙げた三つの課題を満たしていることだけでなく、遊走することで油滴は新たな界面活性剤をますます取り込み、運動の源とする連環の機構が現れていることが、本研究での大きな発見でした。

これは、物質と環境の変化がつながった連環のモデルの興味深い例といえます。

油滴どうしが近づき合うと、お互いに絡みあうような運動をすることも観測されています。近づき合うことで、その二つの油滴の周囲の環境も変化しているためであり、まるでペアになって遊走する細胞どうしのようです。

このような現象は、環境変化をうまく汲み取って物体が自発的に駆動できる新しい作動原理に結びつくと考えられ、非平衡開放系の特徴がよく表れています。今後もこうした研究を通じて、物質と環境の変化をつなぐ連環の実験モデルを創り、そこに存在する自然法則に一歩でも近づきたいと私は考えています。

そのためには、化学のみならず、物理、数理・情報、生物まで分け隔てなく学んでおくことに大きな可能性があります。本研究から紡ぎだされる成果は、生命起源、自己組織化、環境保全などの人類の抱える普遍的な課題にも応えうるステップになるのではないでしょうか。

(相関基礎科学系/相関自然)

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